朝のヨガを終えてSlackを開くと、クライアントのHRからメッセージが届いていた。「育休中の社員が来月復帰するのですが、両立支援の助成金ってまだ申請できますか?」。タイムスタンプは6時47分。確認すると育休開始からすでに10か月が経過していた。申請期限まで残り6週間。結論から言うと、ギリギリ間に合う——でも今から慌てて動くと、「どちらのコースを選ぶか」の判断を誤って大幅に損をする。

育休中等業務代替支援コース(両立支援等助成金)には、大きく2つの支給ルートがある。①手当支給等(既存社員に業務代替手当を支払う)と②新規雇用・派遣(代替要員を外部から採用・派遣受入する)だ。令和8年度の改正で手当支給等の支給上限期間が最大24か月に延長されたにもかかわらず、スタートアップでは依然として選択ミスによる申請漏れが後を絶たない。この記事では、社会保険労務士の視点から3つの典型的なミスパターンと、会社規模別の判断基準を解説する(2026年10月現在の情報)。

手当支給等 vs 新規雇用・派遣:2つのルートの基本比較

まず両ルートの基本スペックを整理する。

項目 手当支給等 新規雇用・派遣
支給対象 既存社員への業務代替手当 代替要員の新規採用または派遣受入
業務体制整備経費 6万円(定額・1回) なし
業務代替助成 支払額の3/4(月上限10万円)×最大24か月 9万円〜81万円(代替期間に応じて段階支給)
最大受給額の目安 246万円(6万+10万×24か月) 81万円(3か月以上の連続代替)
整備が必要な社内書類 業務代替体制規程、業務引継一覧、手当支払実績 雇用契約書または派遣契約書
向いている会社規模感 10〜30名規模のスタートアップ 専任代替が必要な専門職・30名以上

令和8年度改正の最大のポイントは、手当支給等の支給上限期間が延長されたことだ。これにより、産後パパ育休と通常育休を組み合わせた長期育休でも手当支給等を継続申請できるケースが増えた。表面上は「新規雇用の最大81万円の方が金額が大きい」と見えるが、長期育休×月10万円の手当支払いができる場合、手当支給等の方が総受給額で大きく上回ることがある。

スタートアップが助成金を取り逃がす3パターン

パターン①:「新規雇用81万円 > 手当支給等」という金額の罠

スタートアップでよくあるのが、新規雇用の最大81万円という数字だけを見て「絶対こっちが得だ」と判断してしまうケースだ。しかし実態は異なる。

新規雇用で81万円を受け取るには、代替期間が連続3か月以上必要なうえ、育休終了後も代替要員を継続雇用しなければならない。求人費・研修費・社会保険料など採用コスト全体を加算すると、コスト回収ベースでは手当支給等に劣るケースが多い。一方で手当支給等は、既存社員3〜4名に月2万5千円ずつ業務代替手当を支払えば月額10万円に達し、その3/4の7万5千円が助成される。育休が12か月続けば最大90万円の業務代替助成に体制整備経費6万円を加えて96万円超になる。

「採用できるかわからない」「入ってもすぐ辞められるリスクがある」——そういうスタートアップの現実を踏まえると、既存チームで回す手当支給等の安定性は大きなアドバンテージだ。

パターン②:手当支給等で「業務代替の証明」ができず不支給

手当支給等を選んだはいいが、「職務分担が曖昧で業務代替の実績を証明できない」というケースも頻出する。助成金の審査では、育休取得者が担っていた業務が具体的にどの社員に移ったかを書類で示す必要がある。

よくある失敗は「みんなで少しずつカバーしていた」という状態のまま申請してしまうことだ。担当業務一覧・引継ぎ記録・手当の支払明細がセットで揃っていないと、審査で弾かれる。制度を先に整えてから手当を支払うのが原則だが、現場では手当を先払いして書類が後追いになるケースが多い。申請書類の整備は育休開始前がベストで、遅くとも育休開始後1か月以内には業務代替体制規程と業務引継一覧を整備しておきたい。

パターン③:申請期限を「育休終了日」から逆算して逃す

これが最も取り逃がしが多いパターンだ。「育休が終わったら申請しよう」と後回しにしていると、最初の支給期間分の申請期限がすでに過ぎていることがある。手当支給等では支給対象期間ごとに申請が必要で、第1回の支給申請には期限が設けられている。育休開始日から計算して申請期限を誤認すると、最初の数か月分が申請不可能になる。

冒頭のSlackメッセージのように育休開始から10か月後に相談を受けたケースでは、慌てて申請スケジュールを組み直すことになる。育休開始が決まった時点で社労士と申請スケジュールを確認し、第1回申請期限から逆算して書類整備を始めることが必須だ。

会社規模・状況別の判断マトリクス

どちらのルートを選ぶべきか、4つの軸で整理する。

判断軸 手当支給等が有利 新規雇用・派遣が有利
会社規模 10〜30名以下 30名以上
育休期間 6か月以上(長期) 3か月以下(短期)
業務の専門性 分散可能な汎用業務 専任性が高い高度専門職
採用余力 採用が困難・採用コストを最小化したい 採用リソースがあり継続雇用も想定できる

スタートアップの多くは10〜30名規模で、専任代替要員を採用するより既存メンバーが分担してカバーする体制の方が現実的だ。この場合、手当支給等の方がフィットする。一方、エンジニアやデザイナーなど専門性が高い職種で育休取得が発生した場合は、スキルマッチした派遣でのカバーを検討し、新規雇用・派遣ルートを選ぶ判断もある。

出生時両立支援コースとの組み合わせ設計

育休中等業務代替支援コースは、同じ両立支援等助成金の「出生時両立支援コース(子育てパパ支援助成金)」と組み合わせて申請できる。出生時両立支援コースは、男性社員が産後8週間以内に5日以上育休を取得した際に支給される助成金で、中小企業の第1種は20万円、育休取得率が高い場合の第2種で加算がある。

設計の基本は「出生時両立支援コース(父親の産後パパ育休)→ 育休中等業務代替支援コース(母親または父親の長期育休)」という順番で申請ルートを設計することだ。1人の育休イベントから複数の助成金を受け取れる構造をあらかじめ設計しておくと取り逃がしが大幅に減る。重複申請の禁止事項は守りつつ、適切に組み合わせることで総受給額を最大化できる。育休が決まった段階で、まず申請ルートのマップを社労士と一緒に描いてほしい。

よくある質問

手当支給等と新規雇用・派遣は同じ育休期間に両方申請できますか?

同一の育休取得者に対して、同一期間に両方のルートを重複して申請することはできません。ただし、育休が複数回に分かれる場合(産後パパ育休と通常育休を別々に取得する場合など)は、それぞれに異なるルートを選択できるケースがあります。個別の状況は社労士に確認してください。

手当支給等で支払う業務代替手当は就業規則に定める必要がありますか?

はい、必要です。申請時に「業務代替体制に関する規程」の写しを提出するため、育休開始前に就業規則または別規程として整備しておくことが求められます。規程なしに手当を支払っても、助成金の対象外となる可能性があります。

申請期限を過ぎてしまいました。遡及申請はできますか?

原則として遡及申請はできません。支給申請期限は厳格に運用されており、期限後の申請は受け付けられないケースがほとんどです。育休開始が決まった時点で、速やかに社労士へ申請スケジュールの確認を依頼してください。

令和8年度改正の手当支給等の延長は、既に申請中の案件にも適用されますか?

令和8年4月1日以降に育休を開始した場合は改正後の要件が適用されますが、それ以前に育休が始まっている場合は改正前の要件が適用されるケースがあります。厚生労働省の最新リーフレットまたは担当の労働局に確認してください。

社員数10名以下のスタートアップでも手当支給等は申請できますか?

社員数に関わらず申請できます。ただし、業務代替手当を支払える既存社員が育休取得者以外に1名以上いることが前提です。社員数が少ない場合でも、代表者以外の社員に手当を支払う体制があれば対象になります。中小企業の助成率・上限額が適用されますので、規模が小さいほど相対的に受給額の恩恵が大きくなります。

参考文献