従業員承継(MBO)は、親族に後継者がいない中小企業にとって有力な選択肢だ。しかし、番頭格の従業員が株式を買い取る段階で「資金がない」という壁に直面するケースが後を絶たない。

私のもとに相談に来るMBO案件の多くは、先代オーナーとの間で株価についておおよその合意はあるものの、いざ融資審査のテーブルに載せると差し戻される。融資審査の目線で言うと、問題の根源は「自社株評価額と返済負担のミスマッチ」にある。本稿では、MBOの資金調達で後継者が見落としがちな財務設計の盲点を、5年PLシミュレーションで検証する。

従業員承継(MBO)で株式買取資金が不足する構造

中小企業の自社株評価は、類似業種比準方式・純資産価額方式・併用方式のいずれかで算出される。問題は、業歴の長い中小企業ほど含み資産(不動産の時価評価差額、退職給付引当金の未計上分など)が積み上がり、オーナーが想定する「感覚的な株価」と税務上の評価額が大きく乖離することだ。

たとえば、年商3億円・経常利益率5%の製造業で発行済株式1,000株の場合、純資産価額方式で1株あたり8万円、総額8,000万円に達するケースは珍しくない。番頭格の従業員が個人の貯蓄だけで調達できる金額ではない。

資金調達の選択肢:公庫融資と事業承継・M&A補助金の併用

日本政策金融公庫「事業承継・集約・活性化支援資金」

MBOの株式買取資金として最も活用されるのが、日本政策金融公庫の事業承継・集約・活性化支援資金だ。融資限度額は7億2,000万円(中小企業事業)、設備資金20年以内・運転資金7年以内の返済期間が設定されている。

ただし、株式買取資金は「運転資金」扱いとなるため、返済期間は最長7年(据置2年以内)に制限される。8,000万円を7年返済(据置1年)で組むと、年間返済額は約1,333万円。PLの構造を見ると、この返済負担が経常利益を圧迫し、DSCR(Debt Service Coverage Ratio)が1.0を割り込むリスクが出てくる。

事業承継・M&A補助金(事業承継促進枠)

2026年度の事業承継・M&A補助金(14次公募)では、事業承継促進枠が従業員承継を対象としている。補助上限は800万円(賃上げ実施で1,000万円)、補助率は1/2~2/3だ。ただし、この枠の補助対象経費は設備投資費用・店舗改築工事費用等であり、株式買取資金そのものは補助対象外である点に注意が必要だ。

つまり、承継に伴う設備更新や事業転換の投資費用には使えるが、株式取得のための直接的な資金には充当できない。ここを混同して資金計画を組む後継者が少なくない。

5年PLシミュレーション:DSCR 1.2を死守する設計

朝5時に決算書を広げてDSCRを再計算するのが私の日課だが、MBO案件で最も神経を使うのが「株式買取の返済負担」と「事業運営に必要な設備投資・運転資金」の二重負担をどう5年PLに織り込むかだ。

モデルケース(年商3億円・製造業)

項目1年目2年目3年目4年目5年目
売上高3.0億3.06億3.12億3.18億3.24億
経常利益1,500万1,530万1,560万1,590万1,620万
減価償却費800万800万800万800万800万
CF(税引後利益+減価償却)1,840万1,864万1,888万1,912万1,936万
株式買取返済(年額)0
(据置)
1,333万1,333万1,333万1,333万
既存借入返済500万500万500万500万500万
総返済額500万1,833万1,833万1,833万1,833万
DSCR3.681.021.031.041.06

銀行はここを見ている——据置期間が終わる2年目にDSCRが1.02まで急落する。銀行の融資審査では一般的にDSCR 1.2以上を求められるため、このままでは否決される。

回避策:3つの財務設計ポイント

1. 株価引き下げ対策を承継前に実施する

先代オーナーへの退職金支給による純資産圧縮が王道だ。ただし、退職金の損金算入限度額(功績倍率法)を超えると否認リスクがある。適正額の範囲で純資産を2〜3割圧縮し、買取総額を5,500万〜6,000万円に抑えれば、年間返済額は約1,000万円に低減できる。

2. 持株会社(SPC)スキームで返済期間を延ばす

後継者が個人で借りると運転資金扱い(最長7年)だが、持株会社を設立してSPCが融資を受ければ設備資金扱い(最長20年)にできるケースがある。ただし、SPCの実態がペーパーカンパニーと判断されると融資が否決されるため、事業実態の裏付けが必要だ。

3. 補助金は「承継後の投資」に充当し、CFを温存する

事業承継・M&A補助金の事業承継促進枠(最大1,000万円)は、承継後の設備投資に使う。補助金で設備投資の自己負担を圧縮することで、手元資金を株式買取の返済原資に回す——この「間接的なCF改善効果」が5年PLに効いてくる。

私が銀行員時代に1,000件以上の融資審査を担当した経験から言えば、採択される事業計画には3つの共通点がある。既存事業のキャッシュが安定していること、投資回収期間が7年以内であること、そして代替案の検討痕跡があることだ。MBOの融資申請でも、この3条件を満たす計画書を作ることが審査突破の鍵になる。

経営承継円滑化法の認定を忘れない

日本政策金融公庫の事業承継融資を有利な条件で利用するためには、都道府県知事による経営承継円滑化法の認定が重要だ。認定を受けることで、信用保証の特例(通常枠とは別枠で保証が使える)や、日本政策金融公庫の特別貸付制度が利用可能になる。

認定申請は、先代経営者の死亡・退任から原則2か月以内(贈与の場合は贈与の翌年1月15日まで)に都道府県に行う必要がある。このスケジュールを逆算して、承継の6か月前から準備を始めるのが鉄則だ。

MBO案件で後継者が最初にやるべき3ステップ

  1. 自社株評価の正式な算定:顧問税理士に類似業種比準方式・純資産価額方式の両方で試算を依頼し、買取総額の上限を確定させる
  2. 5年PLの作成:株式買取の返済負担を織り込んだ上で、DSCR 1.2以上を5年間維持できるか検証する(維持できない場合は株価引き下げ対策を先行実施)
  3. 金融機関への事前相談:公庫・メインバンクの両方に、承継スケジュールと資金計画を事前に共有する。融資の正式申請は承継の3か月前が目安

よくある質問(FAQ)

Q1. 従業員承継(MBO)の株式買取資金に使える補助金はありますか?

株式買取資金そのものを補助する制度は現時点で存在しません。事業承継・M&A補助金の事業承継促進枠(補助上限800万〜1,000万円)は、承継に伴う設備投資や店舗改築に使えますが、株式取得費用は対象外です。株式買取には日本政策金融公庫の事業承継・集約・活性化支援資金など融資制度を活用するのが一般的です。

Q2. 持株会社(SPC)を設立してMBOを行うメリットは何ですか?

最大のメリットは融資の返済期間を延長できる可能性がある点です。後継者個人が借りると運転資金扱い(最長7年)ですが、SPCが設備資金として借りれば最長20年の返済が可能になるケースがあります。ただし、SPCに事業実態がないと融資審査で否決されるリスクがあるため、税理士・中小企業診断士と相談の上で進めてください。

Q3. 自社株評価を下げるために退職金を活用する際の注意点は?

先代オーナーへの退職金支給は純資産を圧縮する効果的な手段ですが、功績倍率法による適正額を超えると税務署に損金算入を否認されるリスクがあります。一般的には「最終月額報酬×勤続年数×功績倍率(2〜3倍程度)」が上限の目安です。退職金の額と支給タイミングは必ず顧問税理士と事前に確定させてください。

Q4. 経営承継円滑化法の認定はMBOでも使えますか?

はい、従業員承継もMBOも経営承継円滑化法の認定対象です。認定を受けることで、信用保証協会の通常枠とは別枠の保証が利用でき、日本政策金融公庫の特別貸付条件(金利優遇等)も適用されます。ただし、認定申請は先代経営者の退任等から原則2か月以内という期限があるため、承継スケジュールから逆算した準備が必要です。

Q5. MBOの融資審査でDSCRはどの程度求められますか?

金融機関によりますが、一般的にDSCR 1.2以上が融資実行の最低ラインです。株式買取の返済と既存借入の返済を合算した総返済額に対して、税引後利益+減価償却費で算出するキャッシュフローが1.2倍以上あることを、5年間にわたって維持できる事業計画が求められます。据置期間終了後にDSCRが急落するパターンが最も多い差し戻し理由です。

参考文献