SmartHRやfreee人事労務を導入したとき、「これで労務管理は整った」と思うのは当然だ。でも、結論から言うと、デフォルト設定のまま運用を始めると、キャリアアップ助成金や特定求職者雇用開発助成金が不支給になる構造的な地雷を踏む。クラウド労務ソフトの開発元は助成金の申請要件を前提に設計していない。当然のことで、責める話ではない。問題はスタートアップ側が「入れれば終わり」だと思い込むことにある。

年間100件超の助成金を処理してきた中で、クラウド労務ソフト起因の不支給が明確に増えたのは、2023年以降にSmartHRやfreee人事労務を全社展開するシリーズA〜Bのスタートアップが急増してからだ。人事制度の設計より先にツールを入れてしまう。スタートアップの「まず動く」文化としては理解できるが、助成金の申請要件と真っ向から噛み合わない。

この記事では、クラウド労務ソフトのデフォルト設定が起こす3つの不支給構造と、導入初日に30分で確認すべきチェックリストを解説する。

なぜクラウド労務ソフトのデフォルト設定が助成金に関係するのか

助成金の申請には「書類で証明する」という鉄則がある。有期契約であること、転換の合理的理由があること、賃金が適正に支払われていること——これらはすべて書類の記載内容で審査される。クラウド労務ソフトから出力される雇用契約書・労働条件通知書・賃金台帳がその書類になる。

デフォルト設定のまま出力したら、要件を満たさない書類が大量に生成される。本人も気づかない。申請時に初めて「これでは対象外です」と判明する。

不支給構造① 契約期間のデフォルト「期間の定めなし」問題

何が起きるか

SmartHR・freee人事労務ともに、雇用契約書を作成する際の契約期間フィールドのデフォルト値は「期間の定めなし」になっているケースがある。担当者がこのまま「発行」ボタンを押すと、有期雇用のつもりで採用した社員に「無期雇用」の契約書が渡ることになる。

キャリアアップ助成金(正社員化コース)は「有期雇用労働者を正社員に転換した」という実態が審査の前提だ。転換前の有期契約を証明する書類として、雇用契約書または労働条件通知書が必要になる。そこに「期間の定めなし」と書いてあれば、「最初から正社員だった」と判断されてしまう。転換実績がないので助成金の対象外となる。

実際の事例

シリーズBのSaaS企業でエンジニア5名分のキャリアアップ助成金を申請しようとした際、書類を遡って確認したところ全員の雇用契約書の契約期間が「期間の定めなし」になっていた。SmartHR導入時に担当者がデフォルト値のまま5名分を一括発行していた。契約期間の入力を忘れただけで、5名分・最大400万円が申請不可になった事例だ。

「でも実際には有期で採用していた」という反論はある。それは事実かもしれない。でも審査は書類ベースだ。口頭での説明は通らない。雇用契約書に書いてある内容が全てになる。

チェックポイント

  • 雇用契約書作成フローで「期間の定め」フィールドを必須入力に設定する
  • 過去発行分の雇用契約書を遡り、有期採用者の契約期間が正しく記載されているか確認する
  • 有期契約の「合理的理由」(業務の繁忙期対応・試用目的のスキル見極め等)を契約書または別紙で明記する

不支給構造② 労働条件通知書テンプレートに「有期契約の合理的理由」欄がない

何が起きるか

スタートアップでよくあるのが、クラウド労務ソフトの労働条件通知書テンプレートをそのまま使い続けるケースだ。標準テンプレートには法定記載事項は含まれているが、助成金申請で求められる「有期契約の締結理由」の明記が漏れていることが多い。

2013年施行の労働契約法改正により、有期雇用では更新の判断基準と契約更新の有無を労働条件通知書に記載することが義務化されている。さらに助成金の申請では、「なぜ有期で採用したのか」という合理的理由が記録されていないと、計画的な転換前提と疑われるリスクがある。

特に問題になるのがIPO準備との兼ね合いだ。キャリアアップ助成金でOKをもらっても、労務DDで「有期契約の合理的理由が書類上証明できない」と指摘されるケースが実際にある。助成金申請と労務監査で同じ書類を使うため、どちらかに最適化すると、もう一方に穴が開く構造になりやすい。

見落としやすいポイント

freee人事労務の標準テンプレートでは「契約更新の有無」「更新する場合がある・更新しない・条件次第」のチェックボックスはあるが、「有期契約を締結した理由(業務の繁忙期対応、担当業務の限定など)」の記載欄がデフォルトでは表示されない。カスタムフィールドとして追加する必要があるが、これを知らないまま運用している企業が多い。

チェックポイント

  • 労働条件通知書テンプレートに「有期契約の締結理由」欄を追加する(カスタムフィールド設定で対応可)
  • 記載内容は「○○業務の繁忙期対応のため」「担当プロジェクトの終了まで」など、業務の特性に紐づけた記述にする
  • 「試用期間付き正社員」と「試用目的の有期契約」は法的に別物。キャリアアップ助成金の対象になるのは後者のみ。混在しているなら整理が必要

不支給構造③ 賃金台帳の出力フォーマットが法定帳簿要件を満たさない

何が起きるか

令和8年(2026年)4月1日から、特定求職者雇用開発助成金の申請において賃金台帳の提出が必須化された。これはハローワーク経由での採用者を雇った際に最大240万円を受け取れる助成金で、スタートアップのバックオフィス採用・障害者雇用等で活用頻度が高い制度だ。

問題は、クラウド給与ソフトから出力したCSVやPDFが、労働基準法施行規則第54条が定める法定帳簿の記載要件を満たしていないことがある点だ。

労基法施行規則第54条が定める賃金台帳の法定記載事項は以下の8項目だ:

  1. 氏名
  2. 性別
  3. 賃金計算期間
  4. 労働日数
  5. 労働時間数
  6. 時間外労働・休日労働・深夜労働の各時間数
  7. 基本給・手当その他賃金の種類別金額
  8. 控除項目と金額

クラウド給与ソフトの標準出力には「性別」が抜けているケースや、「時間外・休日・深夜の別計」が分離されていないケースがある。給与明細と賃金台帳は別物であり、給与明細の見た目で設計されたPDFは法定帳簿の要件を満たさないことがある。

令和8年4月以降の影響

令和8年4月以前は、賃金台帳は「求めがあれば提示」で済んだ。それが必須提出に変わった。しかもクラウド給与ソフトで出力したファイルが要件を満たすかどうかを、申請前に誰も確認していないケースが大多数だ。申請窓口で「これは法定帳簿として認められません」と差し戻しを食らって初めて気づく。

制度を先に整えてから申請に進むのが助成金の基本だが、書類フォーマットの確認は制度整備の一部だ。ソフトを入れるだけでは足りない。

チェックポイント

  • クラウド給与ソフトの「賃金台帳」出力機能を開き、上記8項目がすべて含まれているか確認する
  • 「給与明細」出力と「賃金台帳」出力は別メニューになっている場合が多い。誤って給与明細を提出していないか確認する
  • 時間外・休日・深夜の時間数が「合算」ではなく「別掲」になっているか確認する

導入初日の30分チェックリスト

3つの構造を踏まえると、クラウド労務ソフト導入初日に確認すべきことは明確だ。チームの誰かが30分だけ時間を取れば、構造的な不支給リスクを大幅に下げられる。

【確認①】雇用契約書作成フローの「契約期間」デフォルト値

設定画面 → 雇用契約書テンプレート → 契約期間フィールドのデフォルト値を確認。「期間の定めなし」になっていたら「有期」に変更するか、必須入力に設定する。担当者が入力を忘れた場合に発行できない仕組みにしておくのがベスト。

【確認②】労働条件通知書テンプレートの「有期契約の締結理由」欄

標準テンプレートを開いて「有期契約の締結理由」が記載欄として存在するか確認。ない場合はカスタムフィールドを追加する。追加方法はSmartHR・freeeともにサポートドキュメントに記載があるため、自社のツールの設定画面を確認すること。

【確認③】賃金台帳の出力と8項目チェック

試しに1名分の賃金台帳を出力し、法定8項目すべてが含まれているか確認する。不足している項目がある場合は、出力設定を変更するか、補足情報を付記するフローを整備する。特定求職者雇用開発助成金の申請を予定している場合は必須作業だ。

過去に発行した書類はどうするか

「すでに数十名分の雇用契約書を発行してしまっている」という相談は多い。現実的な対処は2段階だ。

まず、今後申請予定の助成金に関係する労働者(直近6ヶ月以内の有期雇用者)について、書類の再確認・再発行の可否を検討する。雇用契約書の再発行は、両者合意のうえで記録を残せば可能なケースもある。ただし時期や内容によっては審査に影響するため、再発行の可否は社労士と確認してから動くこと。

次に、過去分については助成金申請の可否を個別に判断する。書類不備があるからといって全員が対象外になるわけではない。審査での影響度は案件ごとに異なる。一律に「全部ダメ」と判断せず、申請可能な案件を切り分けることが重要だ。

社労士への連絡タイミングとオペレーション

ここで重要なのが「いつ社労士に連絡するか」だ。クラウド労務ソフトを導入する前、遅くとも導入と同時に社労士に連携してほしい。ソフトを選んでいる段階で相談があれば、設定の確認と助成金申請要件との整合性チェックを同時にできる。

うまく機能しているスタートアップは、SlackやTeamsに社労士が参加するチャンネルを作っている。採用・退職・育休・研修の情報がリアルタイムで共有されるだけで、助成金の機会損失を構造的に防げる。ツールの設定変更も、同じチャンネルで「この設定で助成金に問題ないか」と確認できる。

制度を先に整えてから、が助成金の基本だ。その「制度」には運用ツールの設定も含む。クラウド労務ソフトのデフォルト設定は、助成金の文脈では「制度設計の一部」として扱うべきだ。

FAQ

Q1. SmartHRの標準テンプレートで発行した雇用契約書は、助成金申請に使えないのですか?

使えないわけではありませんが、デフォルト状態のまま運用すると不備が生じるリスクがあります。具体的には契約期間フィールドの入力漏れ、有期契約の締結理由の未記載が典型例です。標準テンプレートを助成金要件に合わせてカスタマイズしたうえで運用することが前提になります。

Q2. 「試用期間付き正社員」と「試用目的の有期雇用」は何が違いますか?

試用期間付き正社員は、最初から無期雇用(正社員)として採用し、一定期間は解約権が留保された状態です。法的には最初から正社員なので、キャリアアップ助成金(正社員化コース)の「有期→正社員転換」には当たりません。一方、試用目的で有期雇用契約を結んでから正社員に転換するスキームは助成金の対象になります。どちらの設計にするかは、採用の意図と就業規則の定義を整合させる必要があります。

Q3. 賃金台帳の出力が法定要件を満たすか、自分でどうやって確認すればいいですか?

使用しているソフトの賃金台帳出力メニューから1名分を出力し、労基法施行規則第54条の8項目(氏名・性別・賃金計算期間・労働日数・労働時間数・時間外等各時間数・賃金種類別金額・控除額)がすべて記載されているか確認してください。不明点は使用ソフトのサポートに「特定求職者雇用開発助成金の申請に使える法定帳簿として出力できますか」と聞くのが最速です。

Q4. 過去に「期間の定めなし」で発行してしまった雇用契約書は、遡って修正できますか?

雇用契約書の再発行(訂正)は、会社・本人双方の合意があれば可能なケースがあります。ただし、助成金の申請時期や転換の時系列との整合性が審査で問われる場合もあるため、再発行の前に必ず社労士に相談してください。「修正すれば申請できる」と単純には言えない部分があります。

Q5. 特定求職者雇用開発助成金の賃金台帳必須化はいつから適用されますか?

令和8年(2026年)4月1日以降の申請分から賃金台帳の提出が必須化されています。それ以前に採用した対象者であっても、申請日が2026年4月1日以降であれば提出が必要です。

参考文献