結論から言うと、キャリアアップ助成金(正社員化コース)で不支給になるスタートアップの多くは、「転換」以前の段階——つまり有期契約そのものの設計で躓いています。
正社員化コースは、有期雇用労働者を正社員に転換した事業主に対して1人あたり最大80万円(重点支援対象者の場合)が支給される制度です。しかし「有期で雇って6ヶ月経ったら正社員にすればいい」という理解のまま進めると、転換要件を満たせず不支給になるケースが後を絶ちません。
スタートアップでよくあるのが、採用時の書類設計を「あとで整えればいい」と後回しにするパターンです。助成金の受給可否は、採用時点の労働条件通知書と雇用契約書の記載内容で8割決まります。転換後にいくら書類を整えても、入口の設計ミスはリカバリーが困難です。
この記事では、スタートアップ専門の社労士として年間100件超の助成金申請を処理する中で実際に遭遇した、有期契約の設計ミスによる不支給パターンを3つに整理して解説します。
パターン1:試用期間付き正社員を「有期契約→正社員転換」と誤認して申請
最も多い失敗パターンです。エンジニアやビジネス職を「正社員」として採用し、最初の3〜6ヶ月を「試用期間」として設定。この試用期間満了を「正社員転換」としてキャリアアップ助成金を申請しようとするケースです。
これは明確に不支給です。試用期間付きの正社員は、労働契約法上は入社日から期間の定めのない雇用(無期雇用)です。試用期間はあくまで解約権留保付きの本採用前段階であり、有期契約ではありません。そのため「有期→正社員」への転換という事実が存在せず、キャリアアップ助成金の対象になりません。
シリーズA〜Bのスタートアップでは、「内定通知書に正社員と書いてあるが、雇用契約書は有期になっている」という矛盾した状態も散見されます。この場合、内定通知書やオファーレターの記載が正社員前提であれば、実質的に無期雇用と判断される可能性が高く、助成金審査で否認されるリスクがあります。
防止策
- 助成金を活用するなら、採用段階から「有期契約社員」として募集・採用する設計を徹底する
- 内定通知書・オファーレターに「正社員前提」「本採用後は正社員」等の文言を入れない
- 求人媒体(Wantedly、Green等)の求人票の雇用形態欄も「契約社員」と明記する
パターン2:労働条件通知書の「契約期間」欄の記載不備で有期雇用の実態を証明できない
有期契約として採用したつもりでも、労働条件通知書(兼雇用契約書)の記載に不備があると、助成金の審査で有期雇用として認められません。
具体的には以下の記載不備が頻発しています。
- 「契約期間」欄で「期間の定めなし」にチェック:クラウド労務ソフトのテンプレートで、デフォルトが「期間の定めなし」になっていることに気づかず発行してしまうケース
- 契約期間の始期・終期が未記入:「有期」にチェックしたものの、具体的な期間(例:2026年4月1日〜2026年9月30日)が空欄
- 更新の有無・更新基準が未記載:有期契約の場合、更新の有無と判断基準の記載が労働基準法で義務付けられている
私が以前、シリーズBのSaaS企業の就業規則を3週間で整備して助成金1,500万円の採択に繋げた案件でも、最初に発覚したのは労働条件通知書の記載不備でした。就業規則の正社員転換規程を整える前に、まず既存社員の労働条件通知書を全件棚卸しして、有期・無期の区分が正しく記載されているか確認する作業から入りました。
防止策
- クラウド労務ソフト(SmartHR、freee人事労務等)のテンプレート設定を、有期契約用と正社員用で分けて管理する
- 有期契約の労働条件通知書には、契約期間の始期・終期、更新の有無、更新判断基準を必ず記載する
- 発行済みの労働条件通知書を四半期ごとに棚卸しし、記載漏れがないか確認するフローを導入する
パターン3:就業規則に「正社員」と「有期契約社員」の定義・区分が未整備で転換の実態を証明できない
労働条件通知書の記載が正しくても、就業規則に正社員と有期契約社員の定義が明確に書かれていないと、「転換前後で労働条件が変わった」ことを証明できず不支給になります。
キャリアアップ助成金の正社員化コースでは、転換後の「正社員」に以下の3要件が求められます。
- 賞与または退職金の制度が適用されていること
- 昇給が適用されていること
- 上記が就業規則に明記されていること
スタートアップの就業規則でよくある問題は、「社員」という括りだけで正社員・契約社員の区分が存在しないケースです。全員が同じ就業規則の適用対象になっていると、有期→正社員への「転換」という概念自体が制度上成立しません。
制度を先に整えてから助成金を考える——これは私が助成金マニアだった創業初期の反省から得た原則です。独立3年目まで助成金案件だけで売上の8割を占めていた時期がありましたが、クライアントから「制度より助成金の話ばかりしますね」と指摘されて方針を転換しました。助成金は人事制度の副産物として狙うのが本筋です。就業規則と雇用区分の設計を先に整えれば、助成金の受給要件は自然と満たされます。
防止策
- 就業規則に「正社員」と「有期契約社員」の定義を明文化し、適用範囲を分ける
- 正社員の定義に「賞与」「昇給」「退職金」のいずれかの適用を明記する
- 正社員転換規程(転換時期、転換基準、転換手続き)を就業規則に盛り込む
IPO準備中のスタートアップは特に注意が必要
有期契約の設計ミスは、助成金の不支給だけでなくIPO労務監査でも問題になります。IPO準備中のスタートアップでは、助成金申請書類と有期契約の運用実態の整合性がデューデリジェンスの調査対象になります。
特に注意すべきは、有期契約の合理的理由です。「なぜこのポジションを有期雇用で採用したのか」を事後的に説明できる根拠がないと、IPO審査で「助成金目的の形式的な有期契約」と疑われるリスクがあります。有期契約には「スキル見極め期間」「プロジェクト単位の業務」など、合理的理由を採用時点で明文化しておくことが重要です。
まとめ:有期契約の設計は「採用前」に完了させる
キャリアアップ助成金(正社員化コース)で不支給を避けるために、採用前に確認すべきチェックリストを整理します。
| チェック項目 | 確認内容 |
|---|---|
| 求人票の雇用形態 | 「契約社員」(有期)と明記しているか |
| 内定通知書・オファーレター | 「正社員前提」の文言がないか |
| 労働条件通知書 | 契約期間の始期・終期、更新の有無・基準が記載されているか |
| 雇用契約書 | 有期契約であることが明記され、本人の署名があるか |
| 就業規則 | 正社員と有期契約社員の定義・区分が明文化されているか |
| 正社員転換規程 | 転換基準・時期・手続きが就業規則に記載されているか |
| 有期契約の合理的理由 | 採用時点で明文化されているか(IPO準備中は必須) |
よくある質問(FAQ)
Q1. 試用期間を「有期契約期間」として助成金を申請することは一切できないのですか?
はい、試用期間付き正社員は労働契約法上「期間の定めのない雇用」であり、キャリアアップ助成金の正社員化コースの対象外です。助成金を活用するには、最初から「有期契約社員」として採用する必要があります。
Q2. 既に正社員として採用した社員について、遡って有期契約に変更して助成金を申請できますか?
できません。労働条件の不利益変更に該当する可能性がある上、助成金の審査では採用時点の書類が確認されます。雇用形態の事後的な変更は不正受給と判断されるリスクもあります。
Q3. 労働条件通知書の記載ミスに転換後に気づいた場合、リカバリーは可能ですか?
支給申請前であれば、労働条件通知書の訂正(合意による再発行)でリカバリーできる場合があります。ただし、訂正の合理的理由を説明できる必要があるため、早期に社労士に相談することを推奨します。
Q4. 有期契約期間は最短6ヶ月で問題ありませんか?
制度上は通算6ヶ月以上の有期雇用があれば転換要件を満たします。ただし、全員が一律6ヶ月で転換されている場合は「計画的な運用」として疑念を持たれる可能性があり、IPO準備中の企業では特に有期契約の合理的理由を明文化しておくことが重要です。
Q5. クラウド労務ソフトで労働条件通知書を自動生成していますが、それで十分ですか?
クラウド労務ソフトのテンプレートは汎用的に作られているため、有期契約社員向けの設定(契約期間の始期・終期、更新基準等)が正しくカスタマイズされているか必ず確認してください。デフォルト設定が「期間の定めなし」になっているソフトも多く、設定漏れが不支給の原因になります。






