結論から言うと、キャリアアップ助成金の受給可否は、労働条件通知書を作成する時点ではなく「採用プロセス」の段階で8割決まっています。
キャリアアップ助成金(正社員化コース)の申請で不支給になるスタートアップを見ていると、就業規則の整備やキャリアアップ計画書の届出は完璧なのに、採用段階の記録や文書に問題があるケースが意外と多いのです。
採用プロセスで残る「求人票」「面接記録」「内定通知書(オファーレター)」は、助成金の審査やIPO労務監査で後から掘り返されます。ここに正社員前提の文言が残っていると、有期契約→正社員転換という助成金の前提そのものが崩れてしまいます。
なぜ「採用プロセス」が助成金に影響するのか
キャリアアップ助成金(正社員化コース)は、有期契約社員を正社員に「転換」する制度です。最初から正社員として採用する予定だった人を形式的に有期契約で雇い、6ヶ月後に正社員にする――これは「転換」ではなく「計画的な正社員採用」です。
審査では、採用時点で本当に有期契約としての合理的理由があったのか、正社員転換は業績や能力の評価を経た結果なのかが確認されます。採用プロセスの記録はその証拠になるため、ここに不整合があると不支給のリスクが高まります。
パターン1:求人票の雇用形態を「正社員」で出してしまう
スタートアップでよくあるのが、Wantedlyや求人媒体で雇用形態を「正社員」と表記して募集し、入社後に有期契約として雇用するパターンです。
求人段階では「正社員」と書いていたのに、雇用契約は「有期契約(6ヶ月)」になっている。この矛盾は、後から確認されたときに「最初から正社員前提だったのではないか」という疑念を生みます。
特に問題になるのは以下のケースです。
- Wantedlyの求人ページに「正社員」と記載し、スカウト段階で正社員ポジションとして説明している
- ハローワークに「正社員」で求人を出し、同じポジションでキャリアアップ助成金の有期契約→転換を企図している
- 転職エージェント経由で「正社員採用」として人材を紹介されたが、入社時に有期契約を提示する
防止策
- キャリアアップ助成金を見据えて有期契約で採用する場合は、求人票の雇用形態を「契約社員」または「有期契約」と明記する
- 正社員登用制度がある旨を記載する場合は、「登用実績あり」に留め、「正社員前提」とは書かない
- 複数の採用チャネル(Wantedly・ハローワーク・エージェント)で雇用形態の表記を統一する
パターン2:面接で「正社員前提」と口頭で伝えてしまう
「うちは6ヶ月の有期契約でスタートしますが、ほぼ全員正社員になりますよ」
スタートアップの面接で、候補者の不安を払拭するためにこう説明してしまうケースは非常に多いです。口頭でのやり取りだから記録に残らないと思いがちですが、実際には以下のルートで証拠が残ります。
- Slackの採用チャンネル:「この人は正社員前提で進めてOKです」といった社内やり取り
- 面接評価シート:面接官が「正社員採用」としてコメントを記録
- 候補者とのメール:選考結果の連絡で正社員ポジションとして説明
以前、シリーズBのSaaS企業でIPO労務監査を実施した際、キャリアアップ助成金の転換実績データを整理する過程で、エンジニア全員が入社6ヶ月で正社員転換されていることが判明しました。採用時のSlackログや内定通知書を遡って確認したところ、面接段階で全員に正社員前提と説明していたことがわかりました。転換期間のバラつきゼロ・転換率100%という数字と合わせて、計画的運用の疑念を生む典型的なパターンでした。
防止策
- 面接では「正社員登用制度あり」「過去に登用実績あり」と事実ベースで説明し、「正社員前提」「ほぼ全員なれる」とは言わない
- 有期契約期間中に評価・判断を行うプロセスがある旨を説明し、転換の合理的理由を面接時点で示す
- 面接記録には「有期契約社員として選考」と明記するテンプレートを用意する
パターン3:内定通知書(オファーレター)に正社員転換を約束する文言を入れてしまう
制度を先に整えてから採用を進めるスタートアップでも、最後の内定通知書で躓くことがあります。
よくある問題文言はこちらです。
- 「6ヶ月の試用期間後、正社員として雇用します」→ これは有期契約ではなく試用期間付き正社員であり、キャリアアップ助成金の対象外
- 「有期雇用契約(6ヶ月)。契約満了後に正社員へ転換予定」→ 「予定」でも正社員転換を約束していると解釈されるリスクがある
- 「入社後6ヶ月で正社員登用を保証します」→ 実質的に無期雇用契約と判断される
特にスタートアップでは、グローバル採用でオファーレターを英語で作成するケースもあります。英語版に "will be converted to a permanent position after 6 months" と書いてあれば、日本語版が適切でも、整合性の問題が生じます。
朝のヨガの後にSlack確認したら、まさにこのパターンでクライアントから相談が来ていたことがあります。CTO名義のオファーレターに「We guarantee full-time employment after the probation period」と書いてあり、就業規則とまったく整合していませんでした。
防止策
- 内定通知書は「有期労働契約(○ヶ月)」の雇用形態を明記し、正社員転換の「保証」「約束」「予定」の文言は避ける
- 正社員登用制度がある旨を記載する場合は、「就業規則の正社員転換規程に基づき、業績・能力を評価の上、登用の可否を判断します」とする
- 英語版オファーレターがある場合、日本語版との整合性を社労士にチェックしてもらう
- 有期契約の「合理的理由」を内定通知書に明文化する(例:「スキル適性の見極め期間として」)
3つのパターンに共通する「根本原因」
求人票、面接、オファーレター。この3つの段階で助成金リスクが生まれる根本原因は、採用チームと労務チーム(社労士)の連携不足です。
スタートアップでは、採用はCTOや現場マネージャーが主導し、労務はバックオフィスの1人が対応するケースが大半です。採用側は「良い人材を早く確保すること」が最優先で、助成金の要件は頭にありません。
私がクライアントに推奨しているのは、採用フローの中に社労士のチェックポイントを3箇所組み込むことです。
- 求人票の公開前:雇用形態の表記とキャリアアップ助成金の要件を突合
- 面接テンプレートの作成時:面接官向けのNG文言リストを共有
- 内定通知書の送付前:文面と就業規則の整合性を確認
この3つのチェックを入れるだけで、採用プロセス起因の不支給リスクは構造的に防止できます。Slackに社労士チャンネルを設置しておけば、求人票の下書き段階で確認できるので、対応速度は劇的に変わります。
よくある質問(FAQ)
Q1. 求人票に「正社員登用あり」と書くのは問題ありませんか?
「正社員登用制度あり」「登用実績あり」と事実を記載する分には問題ありません。問題になるのは「正社員前提」「正社員採用」「入社後○ヶ月で正社員転換」といった転換を確約する表現です。登用制度の存在を示しつつ、選考・評価を経る旨を明記してください。
Q2. すでに「正社員前提」で採用した社員がいる場合、今からキャリアアップ助成金を申請できますか?
採用時点の求人票・面接記録・内定通知書に正社員前提の記録が残っている場合は、その社員についてキャリアアップ助成金の申請は困難です。今後の新規採用者から、適切な採用プロセスで有期契約→正社員転換のフローを組み直すことをお勧めします。
Q3. 転職エージェント経由の採用では、エージェントの求人説明も影響しますか?
エージェントが候補者に「正社員ポジション」として紹介していた場合、その説明内容が後から問題になる可能性があります。エージェントへの求人依頼時に、雇用形態は「有期契約」であること、正社員登用制度がある旨を正確に伝えてください。
Q4. 面接でのやり取りが記録に残っていない場合、問題にはなりませんか?
口頭のやり取りが直接の証拠にならなくても、転換パターン(全員6ヶ月・転換率100%)やSlack等の社内記録から間接的に「正社員前提だった」と推認される場合があります。IPO労務監査では、こうした間接証拠も調査対象になります。記録がないから安全とは言えません。
Q5. 英語のオファーレターと日本語の労働条件通知書で内容が異なる場合、どちらが優先されますか?
日本の労働法上は労働条件通知書(日本語)が法的根拠になりますが、助成金審査やIPO労務監査では英語版の内容も確認されることがあります。特に「permanent position」「guaranteed conversion」等の文言は、日本語版との不整合として指摘されるリスクがあります。両言語版の整合性を確保してください。





