結論から言うと、シリーズA〜Bの資金調達後に採用を一気に拡大するスタートアップこそ、助成金を「取りに行く」のではなく人事制度を「先に整える」べきタイミングです。制度が整えば、助成金は副産物として付いてきます。
私のクライアントの多くは、シリーズAで5〜10名、シリーズBで20〜50名に一気に増員します。この採用拡大フェーズで人事制度の設計を後回しにすると、助成金の取り逃しだけでなく、N-2期のIPO労務監査で就業規則と運用実態の乖離を指摘されるリスクが同時に発生します。
この記事では、シリーズA〜Bのスタートアップが採用拡大フェーズで押さえるべき「助成金×人事制度×IPO審査」の3ステップを整理します。
なぜ「資金調達後」が助成金設計の最適タイミングなのか
スタートアップでよくあるのが、資金調達直後に採用を優先し、人事制度の整備は「落ち着いたら」と後回しにするパターンです。しかし助成金の多くは事前手続き(キャリアアップ計画書の届出、就業規則の改定、計画届の提出)が先で、採用や転換は後という順序を求めます。
つまり、採用を始める前に制度を整えないと、助成金の申請権利そのものを失います。シリーズA〜Bの資金調達後は、まとまった資金が入り、向こう12〜18ヶ月の採用計画が見えるタイミングです。このタイミングで人事制度と助成金を同時設計すれば、以下のメリットがあります。
- 就業規則の一括整備で複数の助成金コースに横断的に対応できる
- キャリアアップ計画書を年度初めに届出すれば、その後の正社員転換・賞与制度導入・労働時間延長に全て対応可能
- IPO審査で求められる労務コンプライアンスと助成金の支給要件は同じ法令が土台であり、一度の整備で両方クリアできる
ステップ1:就業規則を「助成金対応×IPO審査対応」で一括整備する
最初にやるべきは、就業規則の一括整備です。雛形のまま放置している就業規則は、助成金の不支給原因になるだけでなく、IPO労務監査で最も指摘されやすいポイントでもあります。
一括整備で押さえる5つのチェックポイント
- 正社員転換規程:キャリアアップ助成金(正社員化コース)の土台。転換の対象者・時期・基準を明文化する
- 正社員と有期契約社員の定義・区分:「正社員」の定義が曖昧だと転換の実態を証明できない
- 賞与規定:「原則として支給する」建付けにする。「支給しないことがある」表記では賞与・退職金制度導入コースの対象外になる
- 育児介護休業規定:2025年10月施行の「柔軟な働き方選択制度」義務化に対応しているか確認。両立支援等助成金の申請要件にも直結する
- 手当の定義:各手当の支給要件・金額を就業規則に明記する。未記載の手当は3%賃金アップ計算に含められない
以前、シリーズBのSaaS企業から「キャリアアップ助成金を狙いたい」と相談を受けたことがあります。社員30名で就業規則は雛形のまま。正社員転換規程と教育訓練規程を3週間で整備して申請した結果、1,500万円の採択に繋がりました。しかもこの就業規則整備のおかげで、その後のIPO労務監査でも労務コンプライアンスの指摘がゼロでした。
制度を先に整えてから採用を進める。この順番を守るだけで、助成金の取り逃しとIPO審査の手戻りを同時に防げます。
ステップ2:キャリアアップ計画書を年度初めに届出し、複数コースの土台を作る
キャリアアップ計画書は、キャリアアップ助成金の全コースに共通する事前手続きです。正社員化コース、賞与・退職金制度導入コース、労働時間延長コースなど、どのコースを使うにしても計画書の届出が取組実施日より前に完了している必要があります。
年間100件超の助成金を処理する中で見てきた不支給パターンの共通構造は、「1つのコースで事前手続きを後回しにする企業は、他のコースでも同じミスを繰り返す」ということです。逆に言えば、キャリアアップ計画書を4月中に届出する運用を標準化すれば、その年度中のあらゆる転換・制度変更に対応できます。
資金調達後の助成金ロードマップ(年間カレンダー例)
- 4月:キャリアアップ計画書の届出、就業規則の一括整備完了
- 5〜6月:有期契約での採用開始(合理的理由を明文化した労働条件通知書を発行)
- 7〜9月:人材開発支援助成金(リスキリング支援コース)の計画届提出→研修開始
- 10〜11月:有期契約社員の正社員転換(転換後6ヶ月の賃金比較期間スタート)
- 翌4〜5月:キャリアアップ助成金(正社員化コース)の支給申請
このロードマップのポイントは、リスキリング支援コースの訓練修了者がキャリアアップ助成金の重点支援対象者の要件3を満たすため、正社員化コースの支給額が1人40万円から80万円に倍増する点です。研修費用の助成と正社員化の助成を同時に受給する一石二鳥の設計が可能になります。
ステップ3:助成金申請書類とIPO準備書類を統合管理する
これはIPO準備中のクライアント3社の労務DDを実施した経験から生まれた実務フローです。
IPO労務監査では、助成金の申請書類・受給履歴も調査対象になります。そのとき問題になるのが、助成金の申請内容とIPO審査資料の不整合です。具体的には以下の3パターンが指摘されやすいポイントです。
- 有期契約の合理的理由が助成金申請書類と矛盾:キャリアアップ助成金で有期→正社員転換を申請しているのに、有期契約の合理的理由が後から説明できない
- 助成金用に整備した就業規則がIPO審査で実態乖離を露呈:助成金のために追加した規定が実態と合っていない
- 複数コースの申請履歴が制度の一貫性を問われる:転換率100%・転換期間全員同一は計画的運用の疑念を生む
統合管理の3つの実務原則
- 有期契約の合理的理由を明文化:採用時点で「スキル見極め期間」など合理的理由を労働条件通知書に記載する
- 就業規則改定と運用記録のセット管理:規定を変えたら運用実績も記録する。助成金審査とIPO審査の両方で証拠になる
- 助成金申請書類をIPOファイルに統合:キャリアアップ計画書、支給申請書、就業規則改定履歴をIPO準備の労務ファイルにまとめて管理する
朝のSlack確認でクライアントから「IPOの主幹事から労務DDの資料リスト来たんですが、助成金の申請書類も含まれてます」という連絡を受けることが増えています。N-2期で慌てないためにも、助成金申請の段階からIPO審査を意識した書類管理を始めてください。
シリーズA〜Bスタートアップが活用しやすい助成金一覧
最後に、採用拡大フェーズのスタートアップが特に活用しやすい助成金をまとめます。
- キャリアアップ助成金(正社員化コース):有期→正社員転換で1人40万円〜80万円(重点支援対象者)
- キャリアアップ助成金(賞与・退職金制度導入コース):非正規社員向け賞与制度の新設で1事業所あたり40万円
- 人材開発支援助成金(リスキリング支援コース):研修経費の60%〜75%+賃金助成(令和8年度最終年度)
- 両立支援等助成金(育休中等業務代替支援コース):育休取得者の代替要員確保で最大81万円
- 両立支援等助成金(出生時両立支援コース):男性育休の推進で最大20万円+代替要員加算
- 人材確保等支援助成金(外国人労働者就労環境整備):外国人エンジニア採用のスタートアップ向け、上限72万円
これらを個別に「申請できるものから申請する」のではなく、人事制度の設計→就業規則の一括整備→年間カレンダーに沿った申請という順番で設計すれば、年間で数百万円規模の助成金を無理なく受給できます。
よくある質問(FAQ)
Q1. シリーズA段階(社員10名前後)でも助成金は使えますか?
使えます。むしろ少人数の段階で就業規則と人事制度を整えておく方が、後から修正するコストが低く、助成金の申請もスムーズです。キャリアアップ助成金は中小企業区分で支給額が大きくなるため、スタートアップは有利です。
Q2. IPOを考えていないスタートアップでも、この3ステップは有効ですか?
有効です。就業規則の一括整備と書類管理は、助成金の受給要件を満たすためだけでも十分な効果があります。IPOを将来検討する可能性が少しでもあれば、最初から整えておくことをお勧めします。
Q3. 資金調達後すでに採用を進めてしまった場合、今からでも間に合いますか?
助成金の種類によります。キャリアアップ助成金は、キャリアアップ計画書の届出が転換実施日より前であれば間に合います。すでに正社員として採用してしまった場合は、次の採用から有期契約→正社員転換のフローに切り替えることで対応可能です。
Q4. 人材開発支援助成金とキャリアアップ助成金を連携させるメリットは何ですか?
リスキリング支援コースの訓練修了者はキャリアアップ助成金の重点支援対象者の要件3を満たすため、正社員化コースの支給額が1人40万円から80万円に倍増します。研修費用自体も助成されるため、一石二鳥の設計が可能です。
Q5. 助成金申請書類のIPOファイル統合は、具体的にどこまで管理すべきですか?
最低限、キャリアアップ計画書、各コースの支給申請書、就業規則の改定履歴と改定日、労働条件通知書のテンプレートと発行記録をまとめてください。N-2期の労務DDで提出を求められる書類と重複するため、最初から統合管理しておくと手戻りがなくなります。





