結論から言うと、キャリアアップ助成金の「情報公表加算」は20万円もらえるお得な制度に見えますが、スタートアップが安易に申請すると自社の転換実態を自ら公表して不正受給リスクの端緒をつくることになりかねません。

令和8年4月から正社員化コースに新設された「情報公表加算」は、正社員転換制度の概要・直近3事業年度の転換実績数・転換までの平均期間と最短期間を、自社HPまたは職場情報総合サイト「しょくばらぼ」で公表すると、1事業所あたり20万円(大企業15万円)が加算される制度です。

一見すると「公表するだけで20万円」ですが、スタートアップでよくあるのが、公表する数字を整理する過程で自社の転換運用の問題が露呈するケースです。今回は、私が実際に支援した事例を交えて、情報公表加算で逆にリスクになる3つのパターンを解説します。

そもそも情報公表加算とは? 令和8年度の新設制度を整理

まず制度の全体像を押さえましょう。情報公表加算は、キャリアアップ助成金(正社員化コース)の支給申請時に、以下の3つの情報を公表していることが要件です。

  1. 正社員転換制度の概要(手続き、要件、実施時期)
  2. 直近3事業年度の正社員転換の実績数
  3. 直近3事業年度の、雇入れから正社員転換までに要した平均期間と最短期間

公表先は自社ウェブサイトまたは厚生労働省の「しょくばらぼ」のいずれかで、支給申請日からその年度の終了まで掲載を継続する必要があります。

正社員化コースの基本額80万円に、多様な正社員制度規定の加算40万円、情報公表加算20万円を合わせると最大140万円になるため、スタートアップ経営者の関心は高い。しかし、この「公表する」という行為そのものが、転換運用の実態を審査機関に差し出すことと同義だという点が見落とされがちです。

パターン1:転換期間が全員「最短6ヶ月」で計画的運用を疑われる

スタートアップでよくあるのが、エンジニアやビジネス職を有期契約で入社させ、試用期間的に6ヶ月経過後に正社員転換するパターンです。入社時に「6ヶ月で正社員にするから」と口頭で伝えているケースも少なくありません。

情報公表加算の要件では「直近3事業年度の転換までの平均期間と最短期間」の公表が求められます。全員が最短の6ヶ月で転換されている場合、平均期間=最短期間=6ヶ月という数字が公表されることになります。

この数字は審査側から見ると、「有期契約が形骸化しているのでは?」「実質的に正社員前提の採用ではないか?」という疑念の端緒になります。キャリアアップ助成金は「非正規から正規への転換」を促進する制度であり、最初から正社員として雇用する予定だったのに助成金目的で有期契約を挟んでいるとみなされれば、不正受給のリスクが生じます。

実際、私がIPO労務監査を担当したシリーズBのSaaS企業で、情報公表加算の申請準備中にまさにこの問題が発覚しました。転換実績データを整理したところ、エンジニア全員が入社6ヶ月で正社員転換されていたのです。採用時のSlackログや内定通知書を遡って確認すると、面接段階で全員に正社員前提と説明していたことがわかりました。

結局この企業は情報公表加算の申請を見送り、採用フローを再設計。有期契約に「スキル見極め期間」としての合理的理由を明文化したうえで、翌年度から安全に申請できる体制を構築しました。過去の正社員化コース本体の受給分は結果的に問題ありませんでしたが、情報公表加算で自ら数字を出していたら、過去分まで遡って調査される可能性があったのです。

チェックポイント

  • 直近3年の転換期間にバラつきがあるか? 全員最短は危険信号
  • 採用時の求人票・内定通知書に「正社員前提」と読める記載がないか?
  • 有期契約の目的(スキル見極め・プロジェクト期間限定等)が就業規則に明文化されているか?

パターン2:転換実績数と有期採用数がほぼ一致して「全員転換」が露呈する

2つ目のパターンは、公表する転換実績数と、実際の有期契約採用数がほぼ同数になるケースです。

社員30名規模のスタートアップで、直近3年間の有期契約採用が15名、正社員転換も15名という数字が公表されたとします。転換率100%という数字は、一見すると「うちは全員を正社員にしている素晴らしい会社」に見えますが、助成金審査の観点では「有期契約という雇用形態に実態がない」という判断材料になります。

キャリアアップ助成金の趣旨は、非正規雇用から正規雇用への「キャリアアップ」を支援するものです。全員が例外なく転換されているなら、最初から正社員として雇えばよいだけであり、有期契約を経由する合理的な理由が問われます。

実務上の対策

  • 有期契約の採用理由を「繁忙期対応」「専門スキルの見極め」など職種ごとに整理し、就業規則に規定する
  • 転換に至らなかったケース(契約満了・本人都合退職)がある場合、その記録も残しておく
  • 転換基準(評価シート・上長面談記録等)を文書化し、「選抜の実態がある」ことを示せる状態にする

パターン3:IPO審査と助成金審査の整合性が取れない

3つ目は、IPO準備中のスタートアップ特有のリスクです。

IPO労務監査では、有期契約の合理的理由、雇い止めの適法性、契約更新基準の明確性が確認されます。一方、キャリアアップ助成金では有期契約から正社員への転換実績が求められます。

制度を先に整えてから助成金を申請する、という順序を守らないと、以下の矛盾が生じます。

  • IPO審査側:「有期契約者の契約更新基準は明確ですか?」→「全員6ヶ月で正社員転換しています」→「では有期契約の意味は何ですか?」
  • 助成金審査側:「非正規から正規への転換実態はありますか?」→「はい、公表データの通りです」→「転換期間が全員同じですが、計画的な運用ではないですか?」

情報公表加算で自ら公開した数字が、IPO審査の証拠資料と矛盾する場合、最悪のケースではIPO審査での労務リスク指摘と助成金の返還請求が同時に発生します。

朝のSlack確認でクライアントから「IPOの主幹事から有期契約の運用について質問が来た」というメッセージを見て背筋が凍った経験がありますが、情報公表加算のデータがIPO審査資料と突き合わせて確認される時代がすぐそこまで来ています。

整合性チェックリスト

  • 有期契約の採用理由がIPO審査で説明できるか(「助成金のため」はNG)
  • 転換基準と評価プロセスが文書化されているか
  • 情報公表加算で出す数字とIPO審査の労務DD資料に矛盾がないか
  • 過去のキャリアアップ助成金の申請内容と現在の就業規則が整合しているか

情報公表加算を「安全に」申請するための3ステップ

では、情報公表加算を諦めるべきかというと、そうではありません。以下の3ステップで運用を整えれば、20万円の加算を安全に受給できます。

ステップ1:有期契約の合理的理由を再設計する

「試用期間の代わりに有期契約を使う」という運用をやめ、職種ごとに有期契約とする理由を明文化します。エンジニアなら「特定プロジェクトへのフィット確認」、営業なら「担当市場での実績評価期間」など、転換審査の実態を伴う設計が必要です。

ステップ2:転換基準と評価プロセスを文書化する

転換の可否を判断する評価シート、面談記録、上長推薦書などを整備します。全員が転換されている場合でも、「評価プロセスを経た結果として全員が基準を満たした」という記録があれば、計画的運用の疑念は大幅に減ります。

ステップ3:公表前に数字の「見え方」をシミュレーションする

公表する3つの情報(制度概要・転換実績数・転換期間)を事前に整理し、第三者の目で「この数字は疑念を生まないか」を確認します。転換期間のバラつきが極端に小さい場合は、公表のタイミングを翌年度に延期して運用実績を積むのも選択肢です。

FAQ

Q1. 情報公表加算の20万円は1回限りですか?

いいえ。1事業所あたり1年度に1回の申請が可能です。毎年度、要件を満たして申請すれば継続的に受給できます。ただし、公表内容は支給申請日から年度末まで掲載を継続する必要があります。

Q2. 「しょくばらぼ」と自社HPのどちらで公表すべきですか?

スタートアップには「しょくばらぼ」をおすすめします。自社HPの場合、掲載ページのURL変更や削除で要件不備になるリスクがありますが、しょくばらぼは厚労省が管理するため掲載の継続性が担保されやすいです。ただし、IPO準備中の企業は公表データの管理を自社で行いたいケースもあるため、状況に応じて判断してください。

Q3. 過去の転換実績に問題がある場合、情報公表加算だけ申請しなければ大丈夫ですか?

情報公表加算を申請しなくても、正社員化コース本体の審査で転換実態は確認されます。ただし、情報公表加算は「自ら数字を出す」行為であるため、問題のある数字を公表することは追加のリスクになります。まず転換運用を適正化してから、翌年度以降に加算を検討するのが安全です。

Q4. 転換期間が全員6ヶ月でも、評価記録があれば問題ないですか?

評価記録があれば「選抜の実態」を示せるため、リスクは大幅に下がります。ただし、面接時に正社員前提と説明していた場合は、評価記録があっても有期契約の合理性が問われます。採用フローと評価プロセスの両方を整備することが重要です。

Q5. IPO準備中でなければ、パターン3のリスクは関係ないですか?

IPO準備中でなくても、助成金の実地調査や会計検査院の抽出調査で転換運用の実態は確認されます。IPO審査ほど体系的ではありませんが、情報公表加算で自ら出した数字が調査の起点になる可能性は誰にでもあります。

まとめ

キャリアアップ助成金の情報公表加算は、転換制度の透明性を高める良い制度です。しかし、スタートアップが「公表するだけで20万円」と安易に飛びつくと、自社の転換運用の問題を自ら露呈するリスクがあります。

特に注意すべきは以下の3パターンです。

  1. 転換期間が全員最短で計画的運用を疑われる
  2. 転換実績数と有期採用数が一致して有期契約の形骸化が露呈する
  3. IPO審査と助成金審査の整合性が取れなくなる

助成金は人事制度の副産物です。20万円の加算のために転換運用の問題を公表するのではなく、まず制度を整えてから安全に申請する。それがスタートアップの助成金活用の基本姿勢です。

参考文献