結論から言うと、人材開発支援助成金(事業展開等リスキリング支援コース)でスタートアップが不支給になる最大の原因は「研修を先に始めてから手続きを整えよう」という発想そのものです。
この助成金は中小企業の経費助成率が最大75%、賃金助成は1時間あたり1,000円、1事業所あたり年間1億円が上限という破格の制度。しかも令和8年3月の改正で「人事・人材育成計画に基づく訓練」が新たに対象に加わり、4月には設備投資加算(上限150万円)も新設されました。
ところが、スタートアップでよくあるのが「まず動く、書類は後で」の文化。この文化と助成金の事前手続き要件は本質的に噛み合いません。年間100件超の助成金を処理してきた中で、この制度で不支給になるケースは3つの構造に集約されます。
パターン1:計画届を出さずに研修を開始してしまう
最も多い不支給パターンです。事業展開等リスキリング支援コースでは、職業訓練実施計画届を訓練開始日の1ヶ月前までに管轄の労働局へ提出しなければなりません。1日でも遅れると、その研修は全額助成対象外になります。
シリーズA〜Bのスタートアップでは「来週からエンジニア全員にAI研修を受けさせたい」「今月中にDX研修を始めたい」というスピード感が当たり前。CTOやVPoEが研修を決めてSlackで告知し、翌週には研修が始まっている——この速度感と、計画届の「1ヶ月前提出」は決定的に相容れません。
制度を先に整えてから研修を始める。この順序を守るだけで、不支給の半分以上は防げます。具体的には以下の逆算スケジュールを組んでください。
- 研修開始6ヶ月前〜1ヶ月前:職業訓練実施計画届を労働局に提出(提出可能期間)
- 提出前:訓練カリキュラムの確定、対象労働者の選定、訓練実施機関との契約内容整理
- 研修開始後:出席管理・受講記録の日次管理
- 訓練終了後2ヶ月以内:支給申請
以前、シリーズBのSaaS企業でエンジニア5名分のリスキリング支援コースを申請しようとした際、CTO判断で研修が先にスタートしてしまい、計画届の提出が間に合わなかったケースがありました。研修費用だけで数百万円。助成があれば75%が戻ってくるはずだったのに、全額自己負担になりました。
パターン2:定額制eラーニングの受講管理が10時間を満たさない
令和8年度の改正で、定額制サービス(Udemy Business等のサブスクリプション型eラーニング)による訓練には1人あたりの受講時間が10時間以上であることが明確化されました。さらに訓練期間は1年以内という制限があります。
スタートアップでは「全社員にUdemyのアカウントを配って各自で学習してもらう」というケースが多いですが、以下の3点で躓きます。
- 受講時間の記録が残っていない:LMSの受講ログを定期的にエクスポートし、1人ずつの累計時間を管理する必要がある
- 業務命令としての訓練であることが証明できない:助成金の対象は「事業主が業務命令として実施した訓練」。自主学習の扱いだと対象外
- 労働時間内に実施した記録がない:勤怠管理上、研修時間が労働時間として記録されていなければ賃金助成は受けられない
朝7時からヨガを済ませてSlackを確認する頃には、クライアントからの「eラーニングの受講管理はどうすれば?」というメッセージが溜まっています。答えはシンプルで、LMSの管理者権限で週次の受講レポートを出力し、社労士に共有する体制を研修開始前に構築することです。
パターン3:訓練内容の変更時に変更届を出さない
計画届を提出した後に研修内容が変わるケースは、スタートアップでは珍しくありません。「当初はPython研修の予定だったが、プロジェクトの方向転換でAWS研修に差し替えた」「講師の都合で日程が2週間ズレた」——こうした変更が発生した場合、変更届を出さないと変更後の訓練は助成対象外になります。
特に注意すべきは以下の変更事項です。
- 訓練科目・カリキュラムの変更
- 訓練実施期間の変更
- 対象労働者の追加・変更
- 訓練実施機関の変更
Slackに社労士チャンネルを作り、採用・退職・育休・研修に関する変更を即時共有する仕組みを入れてもらうだけで、変更届の提出漏れは劇的に減ります。以前この仕組みを全クライアントに展開してから、変更届の提出漏れによる不支給はほぼゼロになりました。
令和8年度の追加注意点:疎明書と最終年度の駆け込みリスク
2026年5月14日以降は、支給申請時に「受講料等の価格設定に関する疎明書」(様式第28号)の提出が必須になりました。これを忘れると不支給です。また、事業展開等リスキリング支援コースは令和8年度(2027年3月末)が最終年度です。駆け込み申請が増えると予算枯渇のリスクもあるため、早めの計画届提出が必要です。
スタートアップの場合、このリスキリング支援コースはキャリアアップ助成金との連携も視野に入ります。有期契約社員にリスキリング研修を受けさせてから正社員転換すると、キャリアアップ助成金の「重点支援対象者」要件を満たし、1人80万円の支給対象になります。研修費用の助成と正社員化の助成、一石二鳥の設計が可能です。
よくある質問(FAQ)
Q1. 計画届は研修開始の何日前までに出せばいいですか?
訓練開始日の1ヶ月前までです。提出可能期間は6ヶ月前から1ヶ月前まで。1日でも遅れると全額対象外になるため、余裕を持って2ヶ月前の提出を推奨します。
Q2. 定額制eラーニング(Udemy等)でも助成対象になりますか?
はい、対象になります。ただし各受講者の受講時間が10時間以上であること、訓練期間が1年以内であること、業務命令として労働時間内に実施することが要件です。受講ログの管理体制を事前に構築してください。
Q3. 令和8年度の設備投資加算とは何ですか?
2026年4月に新設された加算で、リスキリング研修と連動した設備投資を行った場合、中小企業は設備購入費用の50%(上限150万円)が助成されます。研修だけでなく設備導入もセットで計画すると助成額が最大化します。
Q4. リスキリング支援コースはいつまで申請できますか?
令和8年度(2027年3月末)までの期間限定制度です。ただし、予算の執行状況により早期に受付終了する可能性もあるため、2026年中の計画届提出を強く推奨します。
Q5. キャリアアップ助成金との連携は具体的にどう設計しますか?
有期契約社員にリスキリング支援コースの研修を受講させ修了→正社員転換という流れを組みます。研修修了者は「重点支援対象者」要件③を満たすため、キャリアアップ助成金が1人80万円(非該当なら40万円)に倍増します。計画届→研修実施→修了→正社員転換→キャリアアップ助成金申請の順序を逆算で設計してください。






