結論から言うと、賞与・退職金制度導入コースは「制度を作る順番」を間違えると詰む

キャリアアップ助成金の賞与・退職金制度導入コースは、非正規雇用の従業員に対して賞与または退職金の制度を新たに設け、実際に支給・積立てを行った事業主に支給される助成金だ。中小企業であれば、賞与制度のみの導入で40万円、賞与と退職金を同時に導入すれば最大56.8万円が受給できる。

最近、Xでも「パート社員に賞与を支給する企業が増えている」「これから賞与制度を導入するなら助成金の活用を」という投稿が目立つようになった。スタートアップでも、シリーズA前後で正社員とパート・契約社員が混在し始めるタイミングで「うちも賞与制度を入れたい」という相談が増えている。

ただし、スタートアップでよくあるのが「制度を整えるつもりが、順番を間違えて不支給になる」パターンだ。私のクライアントでも、過去に何社かこのコースで痛い目を見ている。本記事では、令和8年度の要件を踏まえて、スタートアップが陥りやすい4つの落とし穴を実務目線で整理する。

落とし穴1:就業規則の賞与規定が「原則不支給」の書き方になっている

賞与・退職金制度導入コースの大前提は、就業規則に賞与・退職金制度を「新たに」規定することだ。ここで問題になるのが、規定の書き方である。

具体的には、以下のような規定は「制度あり」とみなされない

  • 「賞与は支給しない。ただし、業績によっては支給することがある。」
  • 「賞与の支給は、会社業績による。」

これらは「原則不支給」の規定であり、助成金の対象外となる。一方、以下のような書き方であれば問題ない:

  • 「賞与は、原則として毎年6月および12月に支給する。ただし、業績の著しい悪化等やむを得ない事由がある場合は、支給しないことがある。」

スタートアップでよくあるのが、顧問弁護士や知り合いの士業に頼んで就業規則のひな型を使い回すケース。ひな型の多くは賞与を「業績連動」として曖昧に書いており、助成金申請の観点からは致命的な記載になっていることが多い。

以前、シリーズBのSaaS企業から「キャリアアップ助成金を狙いたい」と相談を受けた際、就業規則が雛形のままだったことがある。そのときは3週間で就業規則を整備し直して1500万円の助成金採択につなげたが、就業規則を整える本来の目的を見失わなかったからこそ採択が付いてきた。賞与・退職金制度導入コースでも同じことが言える。

チェックポイント

  • 就業規則の賞与規定が「原則として支給する」という建付けになっているか
  • 支給時期(年2回など)が明記されているか
  • 退職金制度の場合は、積立方法(中退共、企業型DC等)が明記されているか
  • 就業規則変更届を所轄の労働基準監督署に届出済みか

落とし穴2:キャリアアップ計画書の届出タイミングが遅い

キャリアアップ助成金のすべてのコースに共通するルールだが、キャリアアップ計画書は「取組実施日の前日」までに管轄の労働局に届け出なければならない

賞与・退職金制度導入コースの場合、「取組実施日」とは就業規則に賞与・退職金制度を新設した日(施行日)を指す。つまり、就業規則を変更する前にキャリアアップ計画書が届出されていなければ、その時点で不支給が確定する。

6月はキャリアアップ計画書の届出が全国的に集中する月だ。4月に新年度が始まり、5月に情報収集をして、6月に届出する企業が多い。届出が集中すると労働局の処理に時間がかかり、「届出したつもりが受理されていなかった」というトラブルも起きる。

スタートアップ特有のリスク

スタートアップの場合、経営判断のスピードが速いため「今月から賞与制度を入れよう」と決めた翌週に就業規則を変えてしまうことがある。助成金の申請を後から考えても、もう手遅れだ。

制度を先に整えてから助成金を申請するのは正しい発想だが、「キャリアアップ計画書の届出」だけは制度整備より前に完了させる必要がある。この順番を間違えるスタートアップが非常に多い。

対策

  • 就業規則の変更予定日から逆算して最低2週間前にはキャリアアップ計画書を届出する
  • 届出の受理確認を必ず取る(控えのコピーに労働局の受付印があるか)
  • 社労士を顧問にしている場合は、Slackで社労士に「賞与制度を入れたい」と連絡した時点で計画書の提出スケジュールを組む

落とし穴3:初回の賞与支給額が「形だけ」で要件を満たさない

制度を導入して就業規則を届出し、キャリアアップ計画書も提出済み。ここまでは問題ない。ところが、次に待ち構えているのが「初回の賞与支給」のハードルだ。

賞与・退職金制度導入コースでは、制度を規定した後に実際に賞与を支給(または退職金を積立て)し、その後6ヶ月分の賃金を支払った日の翌日から2ヶ月以内に支給申請を行う。

ここでスタートアップが陥りがちなのが、以下のパターンだ:

  • 賞与を「1,000円」など極端に少額で支給する:制度上、最低支給額の明確な定めはないが、審査で「制度の実態がない」と判断されるリスクがある
  • 対象者が1名だけで、その1名が退職済み:支給対象の有期雇用労働者等が在籍していることが前提
  • 退職金の「積立て」を開始しただけで実際の拠出がない:中退共やiDeCoプラスの場合、掛金の拠出実績が必要

実務上のポイント

朝のヨガを終えてSlackを開くと、クライアントから「賞与の金額はいくらにすればいいですか?」という質問が来ていることがある。結論から言うと、助成金の審査で問題にならないためには、就業規則に定めた支給基準と矛盾しない金額であることが最低条件だ。「原則として支給する」と規定しておきながら形だけの1,000円支給では、制度の趣旨と矛盾する。

IPO審査でも「非正規雇用の処遇改善が実態を伴っているか」は論点になるため、助成金ありきではなく、人事制度として合理的な賞与水準を設定すべきだ。

落とし穴4:申請期限の2ヶ月を「育休・退職」で見逃す

賞与・退職金制度導入コースの支給申請期限は、初回の賞与支給日(または退職金積立開始日)から起算して、6ヶ月分の賃金を支払った日の翌日から2ヶ月以内だ。

この「6ヶ月+2ヶ月」のカウントは、スタートアップの少人数体制では意外と見落としやすい。バックオフィスが経理と労務を兼務している会社では、日々のオペレーションに追われて申請期限を過ぎてしまうケースがある。

以前、クライアントのスタートアップで男性社員が育休を取得した際に、別の助成金で申請期限の管理が甘く不支給になったことがあった。それ以降、全クライアントに「制度変更→申請スケジュール設定」のチェックリストを導入している。賞与・退職金制度導入コースでも同じ仕組みが有効だ。

期限管理の実務対策

  • 初回賞与支給日をカレンダーに登録し、「支給日+6ヶ月+1ヶ月」の時点でリマインダーを設定する(期限の1ヶ月前にアラート)
  • 申請に必要な書類(賃金台帳、出勤簿、就業規則の写し等)を賞与支給時点でフォルダにまとめておく
  • 退職金の場合は積立開始月の掛金払込証明を月次で保管する

令和8年度の支給額と申請の全体フロー

改めて、令和8年度の賞与・退職金制度導入コースの支給額を整理する。

導入内容中小企業大企業
賞与制度のみ導入40万円30万円
退職金制度のみ導入40万円30万円
賞与+退職金 同時導入56.8万円42.6万円

※1事業所あたり1回限りの支給。

申請の全体フロー

  1. キャリアアップ計画書を管轄の労働局に届出(取組実施日の前日まで)
  2. 就業規則に賞与・退職金制度を新設し、労働基準監督署に届出
  3. 初回の賞与支給(または退職金の積立開始)
  4. 支給日から6ヶ月分の賃金を支払い
  5. 6ヶ月分の賃金支払日の翌日から2ヶ月以内に支給申請

FAQ(よくある質問)

Q1. すでに正社員には賞与を出しているが、パート・契約社員に新たに賞与制度を作る場合も対象になるか?

対象になる。このコースは「有期雇用労働者等」を対象に賞与・退職金制度を新たに設けることが要件であり、正社員に既に賞与制度がある場合でも、非正規雇用者向けに新設すれば申請できる。

Q2. 退職金制度として中退共(中小企業退職金共済)を使う場合の注意点は?

中退共を退職金制度として規定する場合、就業規則に「中小企業退職金共済制度に加入する」旨を明記し、実際に掛金の払込みを開始する必要がある。掛金月額は最低5,000円から設定可能だが、加入手続きと掛金払込のタイミング管理が重要となる。

Q3. キャリアアップ計画書は何年分作ればよいか?

キャリアアップ計画書の計画期間は3年以上5年以内で設定する。賞与・退職金制度導入コース以外のコース(正社員化コースなど)も同じ計画書でカバーできるため、複数コースの活用を見据えた計画にしておくと効率的だ。

Q4. 賞与と退職金を「同時に」導入しないと加算は受けられないのか?

加算額(同時導入の上乗せ分)を受けるためには、賞与と退職金を同時に就業規則に規定する必要がある。片方を先に導入し、後から追加導入しても加算は受けられない。同時導入を狙う場合は、就業規則の改定時に両方をまとめて規定すること。

Q5. 1事業所1回限りとのことだが、別の事業所でも申請できるか?

雇用保険の適用事業所単位での申請となるため、複数の適用事業所がある場合は事業所ごとに申請できる。ただし、各事業所でキャリアアップ計画書の届出と就業規則の整備がそれぞれ必要になる。

参考文献