結論から言うと、2026年3月31日で「社会保険適用時処遇改善コース」は終了しました。4月以降にパート・アルバイトの社会保険加入と処遇改善を進めるスタートアップが狙うべきは「短時間労働者労働時間延長支援コース」です。しかし、旧コースの感覚のまま申請準備を進めて不支給になるケースが既に出始めています。

旧コースと新コースの違い|制度の整理から始める

年収の壁・支援強化パッケージとして2023年10月に始まった「社会保険適用時処遇改善コース」は、社会保険に新たに加入した労働者の手取り減少を補填する「社会保険適用促進手当」の支給に対して最大50万円を助成する制度でした。2026年3月末の時限措置終了に伴い、後継として2025年7月に新設された「短時間労働者労働時間延長支援コース」に移行しています。

新コースの助成額は以下のとおりです。

取組内容小規模企業(30人以下)中小企業
1年目:週所定労働時間5時間以上延長50万円40万円
1年目:2〜5時間未満延長+基本給増額40万円30万円
2年目:基本給3%以上増額25万円20万円

スタートアップでよくあるのが、「旧コースと同じ感覚で手当を出せばいい」という誤解です。新コースは手当の支給ではなく労働時間の延長と基本給の増額が要件の中心になっています。

パターン1:旧コースの「社会保険適用促進手当」方式で申請してしまう

旧コースでは、社会保険料の本人負担分相当を「社会保険適用促進手当」として支給し、実質的に手取りを維持する取組が助成対象でした。この方式に慣れたスタートアップが、4月以降も同じように手当を出して申請しようとするケースがあります。

新コースの要件は明確に異なります。週所定労働時間を延長し、新たに社会保険の被保険者にすることが必須です。手当の上乗せだけでは要件を満たしません。

以前、あるシリーズBのSaaS企業でバックオフィスのパートタイマー3名の処遇改善を支援した際に似た問題が起きました。経営陣が善意で早期に社会保険に加入させようとしたのですが、短時間労働者労働時間延長支援コースの要件を確認したところ、社保加入日の6ヶ月前から継続雇用されている必要があり、入社3ヶ月目での社保加入では要件を満たさないことが判明しました。入社日から逆算して最短の社保加入可能時期をカレンダーに落とし込むフローを導入して以降、このミスは防げています。

パターン2:社保加入前の6ヶ月間に既に加入要件を満たしていた(適用漏れ)

制度を先に整えてから助成金を狙う——これが鉄則ですが、そもそも「今まで社保に入れていなかっただけ」というケースは助成対象外です。

具体的には、社会保険適用前の6ヶ月間において、既に週所定労働時間が20時間以上かつ月額賃金8.8万円以上で社会保険の加入要件を満たしていた場合、それは「新たに社会保険に加入させた」のではなく単なる適用漏れの是正とみなされます。

スタートアップでよくあるのが、創業期から働いているパートさんが実質フルタイムに近い働き方をしているのに、社保に加入させていなかったケースです。「今回ちゃんと加入させるから助成金をもらえる」と考えがちですが、過去6ヶ月の実態で既に加入要件を満たしていれば不支給です。

事前チェックの方法

  • 対象者の過去6ヶ月間の勤務実績(シフト表・タイムカード)を確認
  • 週所定労働時間が20時間未満であったことを証明できる書類を整備
  • 雇用契約書上の所定労働時間と実態の乖離がないか確認

パターン3:労働時間延長後に正社員転換してしまいコースの対象外に

朝7時にヨガを終えてSlackを開くと、クライアントのCTOから「パートさんを正社員にしたい」と連絡が入ることがあります。気持ちはわかりますが、タイミングを間違えると助成金が飛びます。

短時間労働者労働時間延長支援コースは、支給申請時点で「有期雇用労働者等」であることが要件です。労働時間を延長して社保に加入させた後、支給申請の前に正社員転換してしまうと、このコースの対象外になります。

正社員化を進めたい場合は、以下の順序が正解です。

  1. 労働時間延長+社保加入(短時間労働者労働時間延長支援コースの要件充足)
  2. 6ヶ月経過後に支給申請・受給
  3. その後に正社員転換(正社員化コースを別途申請)

この順番を守れば、短時間労働者労働時間延長支援コースと正社員化コースの両方を受給できる可能性があります。逆に言えば、順番を間違えると両方失います。

令和8年度の実務ポイント:キャリアアップ計画の更新を忘れない

旧コースから新コースへの切り替えに伴い、キャリアアップ計画書の変更届が必要なケースがあります。旧コースで計画を提出していた事業所が新コースを利用する場合、計画期間内であっても対象コースの追加・変更を労働局に届け出る必要があります。

計画書の変更届は取組実施日の前日までに提出が必要です。「先に動いてから届出」ではアウトです。これはリスキリング支援コースでも同じ失敗パターンがありますが、スタートアップのスピード重視文化と助成金の事前手続き要件は本質的に噛み合わないのです。Slackに社労士を入れておくだけで対応速度が変わります。

FAQ

Q1. 社会保険適用時処遇改善コースで1年目の助成を受けた労働者は、新コースの2年目助成を受けられますか?

A. いいえ。旧コースと新コースは別制度のため、旧コースの1年目取組を新コースの2年目取組として引き継ぐことはできません。旧コースで助成を受けた労働者について新コースを重ねて申請することは併給調整の対象となります。

Q2. 従業員51人以上の企業で2024年10月から社保適用拡大の対象になった労働者は新コースの対象ですか?

A. 2024年10月の適用拡大で自動的に社保加入した労働者は、「事業主の取組により新たに加入させた」とは言えないため、原則として新コースの対象外です。ただし、その後さらに労働時間を延長する取組を行う場合は個別に労働局に確認してください。

Q3. 新コースの「小規模企業事業主」の30人以下とは何を基準にカウントしますか?

A. 常時雇用する労働者の数が30人以下であることが要件です。パート・アルバイトも週所定労働時間が通常の労働者の4分の3以上であればカウント対象になります。スタートアップの場合、業務委託のフリーランスはカウントしませんが、有期契約の社員は含まれます。

Q4. 2年目の助成(基本給3%以上増額)はいつから起算して3%ですか?

A. 社会保険加入時点の基本給を基準として、加入後1年経過時点で3%以上増額されていることが要件です。1年目の取組で基本給を増額した場合は、その増額後の金額ではなく社保加入時の基本給が起算点です。

まとめ:制度移行期こそ社労士に相談すべき理由

年収の壁対策としてのキャリアアップ助成金は、旧コース(社会保険適用時処遇改善コース)から新コース(短時間労働者労働時間延長支援コース)への移行期にあります。制度移行期は「旧制度の常識が通用しない」タイミングであり、ネットに転がっている情報の多くが旧コースのものである点にも注意が必要です。

結論から言うと、IPO審査で説明できる人事制度を作りながら、その副産物として助成金を受給する——この順番を守れるかどうかが分かれ目です。助成金のために制度を歪めると、IPO審査でもコンプライアンスリスクとして指摘されます。3年後の人事制度として残る設計を先に考えてください。

参考文献