結論から言うと、キャリアアップ助成金(正社員化コース)で不支給になるスタートアップの半数以上は「3%賃金アップ要件」の計算ミスが原因です。
正社員化コースは、有期雇用労働者を正社員に転換した場合に中小企業で1人あたり最大80万円(重点支援対象者の場合)が支給される制度ですが、転換前後で「賃金総額が3%以上増加していること」が必須要件になっています。この3%の計算で何を含めて何を除外するか——ここを間違えると、転換も就業規則改定も終わった後に「不支給」の通知が届くことになります。
スタートアップでよくある5つの計算ミス
パターン1:固定残業代を賃金総額に含めてしまう
スタートアップでよくあるのが、月給30万円(固定残業40時間分8万円含む)のような求人です。この場合、3%アップの計算で固定残業代8万円を含めてはいけません。厚労省のガイドラインでは、固定残業代は「時間外労働手当」に該当し、賃金総額の算定対象外です。
つまり計算の母数は30万円ではなく22万円。ここを間違えると、「基本給を1万円上げたから3%超えてるはず」と思っていても、実際は22万円×3%=6,600円で、ギリギリ足りていたものが手当構成の変更で不足する——というケースが起こります。
さらに注意が必要なのは、転換時に固定残業代の時間数や金額を減らした場合です。この場合、固定残業代を「含めた比較」と「除外した比較」の両方で3%以上の増額が必要になります。片方だけクリアしても不支給です。
パターン2:就業規則に記載のない手当を算入してしまう
スタートアップは制度が整う前に「とりあえず払っている手当」が多い。リモートワーク手当、スキルアップ手当、ツール利用手当——名前は何であれ、就業規則に支給要件・金額が明記されていなければ、3%計算に含めることができません。
以前、シリーズBのSaaS企業でIPO労務監査を実施した際、エンジニア全員が入社6ヶ月で正社員転換されていたケースがありました。採用時のSlackログを遡ると面接段階で全員に正社員前提と説明しており、加えて就業規則の手当規定が曖昧だったため、手当を含めた3%計算が根拠不十分と判断されるリスクがありました。制度を先に整えてから転換を実施していれば、こうした問題は起きません。
パターン3:賃金総額に含められない手当の種類を把握していない
3%計算で除外すべき手当は、名称ではなく「実態」で判断されます。以下はすべて算定対象外です。
- 実費補填系:通勤手当、住宅手当、燃料手当、工具手当、食事手当
- 変動系:歩合給、精皆勤手当、休日手当、時間外労働手当(固定残業代含む)
- 賞与:名称を問わず算定対象外
スタートアップが特に引っかかるのは「調整手当」です。前職の給与水準に合わせるために個別に設定した調整手当は、毎月の状況により変動する可能性があるものとして除外される場合があります。
パターン4:転換前6ヶ月と転換後6ヶ月の「賃金支払日」を間違える
3%の比較は「転換前6ヶ月の賃金総額」と「転換後6ヶ月の賃金総額」で行います。ここで間違えやすいのが、起算日です。
比較対象は「転換日」ではなく「賃金支払日」ベースです。たとえば4月1日に転換し、賃金の締日が月末・支払日が翌月15日の場合、転換後の最初の賃金支払日は5月15日になります。この6ヶ月分を正確に特定しないと、転換前の期間にズレが生じます。
少人数のスタートアップほど給与計算を経理が兼務しているため、この起算日の確認が抜けやすい。実際に、あるクライアントでは育休に伴う助成金の申請期限を育休終了後だと思い込んで期限超過した経験がありますが、正社員化コースでも同じ構造のミスが頻発します。申請期限と計算期間は「自分の感覚」ではなく制度の定義で確認する——これが鉄則です。
パターン5:令和8年10月改正の「生涯設計手当」算定変更を知らない
令和8年10月1日以降の転換から、選択制企業型DC(確定拠出年金)に関連する「生涯設計手当」の賃金算定の取扱いが変更されます。従来は生涯設計手当を賃金総額に含めて3%計算ができましたが、改正後は取扱いが厳格化されます。
スタートアップでは福利厚生の一環として選択制DCを導入している企業が増えていますが、10月以降に転換を予定している場合は、この変更を織り込んだ賃金設計が必要です。「9月までに転換すれば旧ルール」という駆け込みも選択肢ですが、計画届の提出時期との整合性を必ず確認してください。
不支給を防ぐための3つのチェックポイント
- 就業規則の手当規定を棚卸し:支給している全手当が就業規則に記載されているか確認。未記載の手当は3%計算に含められない
- 固定残業代を除外した「真の基本給」で試算:固定残業代込みの月給ではなく、除外後の金額を母数にして3%以上の増額を設計する
- 賃金支払日ベースの計算期間を事前にカレンダー化:転換日・締日・支払日から逆算して、比較対象の6ヶ月を特定しておく
朝のヨガの後にSlackを開くと、クライアントから「転換したけど3%足りてるか不安」という相談が週に2〜3件は入ります。この不安は、転換前に計算根拠を固めておけば発生しないものです。
支給申請前なら修正が間に合うケースもある
仮に給与設定を間違えた場合でも、支給申請前であれば労働条件通知書の修正や賃金の遡及支払いでリカバリーできる場合があります。ただし、修正が「制度の趣旨に沿った正当な変更」であることが求められるため、転換後に助成金目的で帳尻合わせをしたと判断されれば不支給リスクが残ります。
最も安全なのは、転換前の段階で就業規則の手当構成を整理し、3%要件を満たす賃金テーブルを設計しておくことです。制度を先に整えてから実行する——この順番を守れば、助成金は人事制度設計の副産物として付いてきます。
よくある質問(FAQ)
Q1. 3%の計算は基本給だけで判断されますか?
いいえ。基本給に加えて、就業規則に明記された定額の諸手当(役職手当、資格手当など)も含めた「賃金総額」で判断されます。ただし通勤手当、住宅手当、固定残業代、歩合給、賞与は除外されます。
Q2. 正社員転換後に昇給して3%をクリアすれば問題ないですか?
転換日時点の労働条件通知書に記載された賃金で3%以上の増額が確認できる必要があります。転換後の昇給は比較対象の6ヶ月に含まれる場合がありますが、転換日時点で3%未満の設定をしていると、計算期間によっては要件を満たせないリスクがあります。転換時に3%以上を確保する設計が鉄則です。
Q3. 有期雇用から無期雇用への転換でも3%要件は必要ですか?
はい。有期→正規、有期→無期、無期→正規のいずれの転換パターンでも3%以上の賃金増額が要件です。ただし支給額が異なるため、どの転換パターンが自社に最適かは事前に検討が必要です。
Q4. 令和8年度の正社員化コースで最大いくら受給できますか?
中小企業の場合、重点支援対象者(雇入れ3年以上の有期雇用者など)の転換で1人あたり80万円(第1期40万円+第2期40万円)が基本です。これに情報公表加算20万円を加えると最大100万円になります。ただし情報公表加算は転換実績データの公表が必要なため、運用実態に自信がない場合は慎重に判断してください。
Q5. キャリアアップ計画書は転換前のいつまでに届け出る必要がありますか?
キャリアアップ計画書は、正社員転換を実施する日の前日までに管轄の労働局に届け出る必要があります。届出が転換日以降になると不支給です。6月は届出が集中して処理が遅延するリスクがあるため、余裕をもったスケジュールで提出してください。






