結論から言うと、令和8年10月の最低賃金改定は「何もしなくてもいい話」ではない

令和8年10月、全国の最低賃金が引き上げられる。全国加重平均は1,177円(前年比+56円)、東京は1,280円に達する。

結論から言うと、この改定は「最低賃金ギリギリで雇っているわけじゃないから関係ない」と思っているスタートアップこそ要注意だ。固定残業代の設計、業務改善助成金の申請額計算、キャリアアップ助成金の3%比較。この3つが改定によって静かに崩れる。

本記事では、スタートアップに特有の3つの見落としパターンと、9月中に対応すべきチェックリストを解説する。

令和8年10月の最低賃金改定:押さえておく数字

令和8年度の最低賃金改定は、中央最低賃金審議会の目安提示を経て各都道府県で確定する。主な数字は以下の通りだ。

  • 全国加重平均:1,177円(前年比+56円)
  • 東京都:1,280円(前年比+65円)
  • 大阪府:1,238円(前年比+59円)
  • 神奈川県:1,278円(前年比+63円)
  • 発効日:令和8年10月1日(各都道府県で若干差異あり)

注意点として、最低賃金との比較に使う「賃金」には、残業手当・通勤手当・賞与・精皆勤手当・家族手当は算入しない。固定残業代は「みなし残業時間分の残業代」として基本給から分離して考える必要がある。

パターン1:固定残業代を含む月給が時給換算で最低賃金違反になる

スタートアップでよくあるのが、採用時に「月給28万円(固定残業代4万円含む)」という形で求人票を作り、そのまま数年放置するケースだ。

固定残業代を除いた基本給が24万円だとしよう。所定労働時間が月160時間(1日8時間×20日)であれば、時給換算は24万円÷160時間=1,500円。現状の最低賃金は問題ない。

ところが問題が起きるのは「固定残業代の設計が甘い従業員」だ。たとえば、所定労働時間が月168時間(1日8時間×21日)で基本給22万円の場合、時給換算は約1,309円。東京なら1,280円をクリアしているように見えるが、実態として所定内賃金だけで計算しなければならないケースがある。

さらに問題なのが「固定残業代として組み込んだ金額が、実際の法定残業代を下回るケース」だ。固定残業代を30時間分として設計していたが、実際に残業が40時間発生した場合、差額の10時間分は追加払いが必要になる。この「差額払い義務の計算基礎」にも最低賃金が絡んでくる。

制度を先に整えてから採用を進めるべきだが、既存従業員の固定残業代設計の見直しは後回しにしがちだ。9月中に全員の固定残業代と時給換算を洗い直すことを強く勧める。

固定残業代チェックの手順

  1. 全従業員の「基本給(固定残業代を除く)」と「月の所定労働時間」を確認する
  2. 基本給÷所定労働時間で時給換算し、令和8年10月以降の最低賃金と比較する
  3. 固定残業代の「みなし残業時間数」と「実際の平均残業時間」を照合する
  4. 固定残業代が法定残業代を下回っていないか確認する(不足分は追加払い義務あり)

パターン2:業務改善助成金の申請可能額が自動的にズレる

業務改善助成金は、事業場内最低賃金を引き上げることを条件に、設備投資費用を助成する制度だ。引き上げ額によってコースが分かれ、助成率や上限額が変わる。

スタートアップでよくあるのが、令和7年度末に「30円引き上げコース」で申請計画を立てていたのに、令和8年10月の地域別最低賃金改定で計算が変わってしまうパターンだ。

業務改善助成金の「事業場内最低賃金」は、事業場で最も低い賃金のことだ。もし現在の事業場内最低賃金が地域別最低賃金と同額(または近い額)に設定されている場合、10月改定後に自動的に引き上げが必要になる。その結果、「申請していたコース(+30円)に必要な引き上げ額の基準点」が変わり、申請内容の修正が必要になる。

また、業務改善助成金の申請は「賃金引き上げの実施前」が原則だ。10月改定後に「では申請しよう」では、コース選択の起算点がズレてしまう。9月中に事業場内最低賃金の現状確認と、10月改定後のコース再計算を行うべきだ。

業務改善助成金のコース選択と最低賃金の関係

引き上げコース 助成上限(目安) 注意点
30円コース 30万円〜300万円 改定後の起算点を確認
45円コース 45万円〜450万円 複数人上げる場合は上限が増加
60円コース 60万円〜600万円 設備投資の証拠書類を先に揃える
90円コース 90万円〜900万円 スタートアップで狙えるが計画が重要

結論から言うと、業務改善助成金を令和8年度に使う計画があるなら、9月中に労働局への事前相談を済ませておくことを強く勧める。

パターン3:キャリアアップ助成金の3%賃金比較が崩れる

キャリアアップ助成金(正社員化コース)では、パートや有期契約社員を正社員に転換した際、転換前後で賃金が3%以上上昇していることが支給要件の一つだ。

スタートアップでよくあるのが、「10月に正社員転換を予定しているから、今の有期契約の賃金より3%上げた月給で設計すれば大丈夫」と思っているケースだ。ここに令和8年10月の最低賃金改定が絡んでくる。

正社員転換後の賃金が最低賃金を下回ってはならないのはもちろんだが、問題は「3%の計算基準」にある。転換前の賃金が最低賃金近傍に設定されていた場合、最低賃金の引き上げに伴い実質的な比較基準が変わる可能性がある。さらに、令和8年10月からキャリアアップ助成金の支給要件に関する通達が改正される可能性があり、「生涯設計手当」の算定方法に変更が加わるケースも想定される。

制度を先に整えてから転換手続きを進めることが原則だ。10月転換予定がある場合、9月中に改正後の要件を確認し、賃金設計を固めておくべきだ。

キャリアアップ助成金3%比較の確認ポイント

  • 転換前6か月の平均賃金の計算方法を確認する(通勤手当等の扱い)
  • 転換後の賃金が地域別最低賃金(令和8年10月改定後)を上回ることを確認する
  • 3%計算に含める手当と含めない手当を整理する(生涯設計手当の改正要件を確認)
  • 転換後6か月間の賃金が下がらないよう就業規則・雇用契約書を整備する

9月中にやるべき対応チェックリスト

以上3つのパターンを踏まえ、スタートアップが9月中に対応すべき項目をまとめる。

  1. 全従業員の時給換算チェック:基本給(固定残業代除く)÷所定労働時間 vs 令和8年10月改定後の地域別最低賃金
  2. 固定残業代の適正性確認:みなし残業時間数と実態の乖離がないか、不足分の追加払い義務が発生していないか
  3. 事業場内最低賃金の現状確認:業務改善助成金の申請を予定している場合、コース選択の再計算
  4. 業務改善助成金の申請計画見直し:10月改定後の引き上げ幅を確認し、必要に応じて労働局に事前相談
  5. キャリアアップ助成金の転換予定確認:10月前後に転換予定の従業員がいる場合、改正要件と賃金設計を照合
  6. 就業規則・賃金規程の改定検討:最低賃金引き上げに対応した条文見直し

よくある質問

Q1. パートタイムの時給を最低賃金より少し高く設定しているのに、改定後も自動的に上がるのですか?

A. 自動的には上がりません。最低賃金はあくまで「下限」であり、それを下回ると違法になるだけです。ただし、現在の時給が改定後の最低賃金を下回る設定であれば、10月1日以降は法令違反になります。9月中に全員の時給を確認し、必要に応じて引き上げの手続きを取ってください。

Q2. 業務改善助成金は最低賃金が上がると申請しにくくなりますか?

A. 申請しにくくなるわけではありませんが、「計算の起算点」が変わることへの注意が必要です。事業場内最低賃金の現状値が地域別最低賃金と同額の場合、10月改定後は自動的に起算点が上がります。30円コースを狙っていた場合、起算点が上がった分だけ「どこまで引き上げればコースに乗れるか」が変わります。改定前に労働局へ相談しておくことをお勧めします。

Q3. キャリアアップ助成金の3%計算は、いつ時点の賃金を使うのですか?

A. 原則として「転換前の賃金(直近3か月または6か月の平均)」と「転換後の賃金」を比較します。転換時期が10月前後にまたがる場合、転換前後の最低賃金水準が違うため、設計段階で転換後賃金が最低賃金を確実に上回るよう計算し直すことが必要です。

Q4. 固定残業代を廃止して基本給に組み込んだほうが管理が楽ですか?

A. 一概には言えません。固定残業代は「残業がなかった月も残業代相当を払う」という性質上、実態残業が少ない月はコスト面で不利になる場合があります。ただし、適切に設計すれば「採用時の給与提示のわかりやすさ」や「残業時間管理の柔軟性」というメリットもあります。最低賃金との関係を踏まえた再設計を検討する場合は、就業規則・雇用契約書の変更手続きが必要です。

Q5. 最低賃金改定の確定情報はいつ公表されますか?

A. 都道府県労働局がそれぞれ告示します。中央最低賃金審議会の目安は例年7〜8月に公表され、各都道府県の確定額は9月上〜中旬に官報告示されます。令和8年度については9月中旬時点で各都道府県の確定額が確認できるため、厚生労働省の「地域別最低賃金の全国一覧」ページで最新情報を確認してください。

まとめ

令和8年10月の最低賃金改定は、「最低賃金以上は払っているから問題ない」と思っているスタートアップに3つの落とし穴をもたらす。固定残業代の時給換算、業務改善助成金のコース計算、キャリアアップ助成金の3%比較だ。

制度を先に整えてから動くのが社労士的な鉄則だが、最低賃金改定は「10月1日」という動かせない期日がある。9月中に動けるかどうかが、コンプライアンスリスクと助成金の取りこぼしを左右する。

スタートアップの労務設計は、制度改定のたびに「設計ミスが顕在化するタイミング」になることが多い。9月中の棚卸しを怠らないでほしい。

参考資料