「シリーズAを終えて採用を一気に動かしたい。中途採用に使える助成金があると聞いたんですが」——この相談が来るのは、決まって候補者がほぼ内定した後だ。

結論から言うと、早期再就職支援等助成金(中途採用拡大コース)は「採用前の計画届出」が大前提であり、採用が決まってから手続きを整えようとすると構造的に詰む。令和8年度改正で支給額が「1人あたり20万円(最大30万円)」とシンプルになった半面、賃上げ5%必須化・6ヶ月離職率20%未満という新要件が加わり、スタートアップが引っかかるポイントが増えた。

私の事務所では年間100件超の助成金を処理しているが、この助成金を「採用拡大フェーズで使いたい」と持ち込まれる相談の約4割は、すでに不支給が確定している状態で持ち込まれる。スタートアップでよくあるのが「採用→内定→助成金申請」という順序の誤解だ。この記事では令和8年度改正後の現行制度を前提に、スタートアップが不支給になる3パターンと、事前設計で防ぐ方法を整理する。

早期再就職支援等助成金(中途採用拡大コース)の概要

この助成金はもともと「中途採用等支援助成金(中途採用拡大コース)」という名称だったが、令和6年度の再編を経て現在は「早期再就職支援等助成金(中途採用拡大コース)」に改称されている。UIJターンコースは2026年3月末で廃止済みだ。

令和8年度の主な変更点

  • 支給額の変更:1事業所あたり定額から「中途採用者1人あたり20万円」へ。成長要件加算で+10万円(最大30万円)、1事業所1年度あたり上限20人・最大600万円
  • 賃上げ5%以上が必須要件に:雇入れ前の賃金(前職賃金)と比較して5%以上の賃金上昇が支給条件として明示化
  • 45歳以上Bコースの廃止:45歳以上の中途採用者を対象とする類型は令和8年度で廃止

主な支給要件

  • 中途採用計画書を採用開始の前日までに管轄の労働局またはハローワークに届出
  • 雇い入れた中途採用者の賃金を前職賃金比5%以上上昇させること
  • 基準期間中に事業主都合の解雇・退職勧奨がないこと
  • 支給対象者の6ヶ月以内の離職割合が20%未満であること
  • 中途採用者の前職賃金を確認できる書類(源泉徴収票等)を保管していること

1人あたり20万円を10名採用すれば200万円、20名なら最大400〜600万円。シリーズA〜Bの採用拡大フェーズには有力な制度だ。ただし上記要件を満たせない企業が続出している。


パターン1:中途採用計画書の「後出し」——採用前日までの届出を知らない

スタートアップに多い「採用決まってから手続き」の発想

エンジニアの採用候補者に内定を出した後、バックオフィス担当が「助成金が使えないか」とネット検索して私に連絡してくる——このパターンが一番多い。採用は2週間後。計画書の届出が間に合うか——答えは「採用開始日の前日まで」に届出が必要、だ。

スタートアップのスピード文化では「まず採用を決めて、書類は後で整える」が常識だが、この助成金はそれと根本的に噛み合わない。採用してから計画書を提出しても、その採用分は一切対象外になる。過去に遡って適用することはできない。

「計画期間の設定」でも詰まるケース

計画書には「中途採用計画の対象期間(通常1年間)」を設定する必要があり、この期間中に採用した者が助成対象となる。「4月から本格採用を始めたい」なら、3月末日(採用開始の前日)までに計画書を提出しなければならない。

制度を先に整えてから採用を動かす——これが私が毎回クライアントに伝える原則だが、この助成金に関しては特に徹底が必要だ。資金調達直後の採用加速フェーズで計画書の届出を忘れると、その年度の採用分が全て対象外になる。シリーズBのSaaS企業で10名の中途採用を計画していたクライアントが、計画書の後出しにより200万円を丸ごと取り逃がした事例がある。

防止策

  • 採用方針が経営会議でOKになった日のうちにSlackの社労士チャンネルに連絡する運用を徹底
  • 面接プロセスや求人票公開より前に計画書を届出するスケジュールをオペレーション化
  • 計画書の採用予定数は「最大〇名」と幅広く設定し、変動に備える(上方修正は変更届が必要)

パターン2:「前職賃金比5%以上上昇」の計算で詰む3つのミス

令和8年度から必須化された賃上げ要件の落とし穴

令和8年度から、雇入れ前の賃金(前職賃金)と比較して5%以上の賃金上昇が必須要件になった。「うちは市場水準で採用しているから問題ない」と思うスタートアップが多いが、実際にはこの要件で詰まるケースが3つある。

ミス①:「前職賃金の確認書類」が取れない

5%以上の上昇を証明するには、前職賃金を確認できる書類(源泉徴収票、給与明細等)が必要だ。しかし採用時に「前職の源泉徴収票を提出してください」という手続きが採用プロセスに組み込まれていないスタートアップは多い。採用後に依頼しても、プライバシー意識の高い候補者は提出を拒否することがある。対策:内定承諾書に前職賃金確認書類の提出を明記し、採用フローの初期段階から組み込む。

ミス②:フリーランス・副業出身者の「前職賃金」が定義できない

フリーランスや副業メインで活動していた人材を正社員として採用するケースでは、「前職賃金」が給与明細の形で存在しない。この場合、確定申告書の所得金額を年収換算して比較することになるが、所得(税引き前利益)と賃金(総支給額)は概念が異なるため、計算根拠を整理しないと審査で指摘される。グローバル採用では英語オファーレターに記載された前職年収の換算も問題になることがある。

ミス③:固定残業代の扱いで計算結果が変わる

スタートアップの雇用条件では「月給〇〇万円(固定残業40時間分含む)」という設定が標準的だ。前職が固定残業代なしの月給だった場合、表面上は賃金が上昇しているように見えても、実質的な基本給ベースの比較では5%を下回るケースがある。また固定残業代を含めるか除くかで計算結果が変わるため、申請前に「どの金額を比較対象にするか」を社労士に確認しておくことが必須だ。


パターン3:「6ヶ月以内離職割合20%以上」でアウト——スタートアップの早期離職リスク

5名採用→1名離職で申請単位全体が不支給になる構造

支給対象となる中途採用者のうち、入社後6ヶ月以内に離職した割合が20%以上だと不支給になる。5名採用して1名が6ヶ月以内に離職した場合は20%でギリギリ不支給ラインに達する。

なぜスタートアップが引っかかるか

シリーズA〜Bのスタートアップでは、採用母集団が広がる分、カルチャーマッチの見極め精度が下がる。入社3ヶ月で「思っていた会社と違う」と退職するケースが増える。さらに、退職勧奨(PIPからの退職)も離職者にカウントされるため、パフォーマンス改善プロセスを経て辞めてもらった場合でも離職割合に影響する。

5名採用→1名離職のシナリオはスタートアップの採用加速期には珍しくない。この場合、残り4名分80万円の受給機会を丸ごと失う可能性がある。離職割合が申請単位(計画期間内の全採用)を通じて計算される構造を理解していないスタートアップが多い。

防止策

  • 申請単位の採用予定人数に対して、1名早期離職した場合の影響を事前シミュレーション
  • 入社後6ヶ月間のオンボーディング設計をHRと社労士が連携してレビュー
  • PIPを導入する際は法的リスクと助成金リスクの両方を事前に社労士に確認
  • 採用ペースが速い場合、計画期間を分割して複数回申請する設計も検討

スタートアップ向け事前設計の3ステップ

ステップ1:採用方針確定と同時に計画書を届出

採用計画を経営陣が決定した週のうちに計画書を届出する。採用数が粗くても計画書は提出できる。後から採用数の上方修正も可能(変更届が必要)。

ステップ2:採用プロセスに「前職賃金確認」を組み込む

内定承諾書に前職賃金確認書類(源泉徴収票または直近6ヶ月の給与明細)の提出を条件として明記。フリーランス採用の場合は確定申告書の確認フローを別途設計する。

ステップ3:入社後6ヶ月のオンボーディングKPIに離職率を設定

採用数が5名以上の計画であれば、1名でも早期離職した場合に助成金申請単位全体に影響する構造を経営陣・HRと共有する。カルチャーマッチに懸念がある候補者を対象から外す判断も採用前に社労士と相談しておく。


よくある質問(FAQ)

Q1. 中途採用計画書はどこに届け出るのですか?

本社所在地を管轄する都道府県労働局またはハローワークに提出します。郵送・持参・電子申請のいずれも可能です。提出期限は「採用開始日の前日まで」であり、採用後の提出は対象外となります。

Q2. 前職の賃金確認書類がない場合はどうなりますか?

原則として前職賃金を証明できる書類(源泉徴収票、給与明細等)が必要です。フリーランス出身者の場合は確定申告書の写しが代替書類となりますが、申請前に管轄労働局に確認することを強くお勧めします。書類が取れない場合、5%上昇の証明が困難になり事実上申請不可になります。

Q3. 採用した全員を助成対象にする必要がありますか?

計画書に記載した対象者のみが助成対象となります。早期離職リスクが高い採用や前職賃金確認が困難な採用については、計画書の対象から外す判断も可能です。ただし計画書の変更届の要否を事前に確認してください。

Q4. 45歳以上のBコースは令和8年度で廃止ですか?

令和8年度から45歳以上を対象とする類型(Bコース)は廃止されました。ただし45歳以上の方を採用した場合でも、通常の中途採用拡大コースとして申請は可能です(1人あたり20万円、成長要件加算で最大30万円)。

Q5. キャリアアップ助成金との併用はできますか?

早期再就職支援等助成金(中途採用拡大コース)は有期→正社員転換を対象とするキャリアアップ助成金(正社員化コース)とは対象が異なるため、要件を満たせば理論上は両制度の受給が可能な場合があります。ただし各制度の対象者要件・計算対象賃金の定義が異なるため、個別に設計することが必要です。


参考文献

  • 厚生労働省「早期再就職支援等助成金(中途採用拡大コース)」(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_56629.html)
  • 労働新聞社「【助成金の解説】早期再就職支援等助成金(中途採用拡大コース)」(https://www.rodo.co.jp/column/221905/)
  • 労働新聞社「【助成金の解説】令和8年度の雇用関係助成金 パブリックコメント案から読む改正ポイント」(https://www.rodo.co.jp/column/213358/)