結論から言うと、クラウド労務ソフトを導入しているスタートアップほど、助成金の不支給リスクを抱えている。

「え、ちゃんとソフト使ってるのに?」と思うかもしれない。だが問題はソフトの品質ではなく、デフォルト設定のまま使っていることにある。

私はスタートアップ専門の社労士として年間100件超の助成金を処理しているが、キャリアアップ助成金・特定求職者雇用開発助成金・業務改善助成金の3つで「クラウド労務ソフトのテンプレート設定が原因で不支給」になるケースが、ここ2年で明らかに増えている。

スタートアップでよくあるのが、「ソフトを入れた=労務管理ができている」という思い込み。実際には、ソフトのデフォルト設定が助成金の申請要件と噛み合っていないケースが構造的に発生している。

この記事では、クラウド労務ソフトのテンプレート設定が助成金の不支給を引き起こす3つの構造と、導入初日にやるべき設定チェックを解説する。

構造1:契約期間のデフォルトが「期間の定めなし」でキャリアアップ助成金が使えない

キャリアアップ助成金(正社員化コース)は、有期雇用→正社員の転換に対して支給される。つまり、転換前に「有期雇用」であったことが大前提だ。

ところが、多くのクラウド労務ソフトでは、労働条件通知書のテンプレートで契約期間のデフォルトが「期間の定めなし」に設定されている。人事担当者がこの設定に気づかず、有期雇用のつもりで労働条件通知書を発行してしまうと、書類上は「無期雇用」として記録される。

こうなると、労働局の審査では「最初から正社員(期間の定めのない雇用)だった」と判断され、転換の実態がないとして不支給になる。

実務で見た典型パターン

以前、シリーズBのSaaS企業から相談を受けた際、エンジニア5名分のキャリアアップ助成金を申請しようとしたところ、全員の労働条件通知書で契約期間欄が「期間の定めなし」になっていた。

聞けば、入社手続きはクラウド労務ソフトで一括処理しており、契約期間の設定を変更した記憶がないという。採用時には「まず有期で」と口頭で伝えていたが、書類上の記載がすべてを決める。結果、5名×80万円=400万円の助成金が受けられない状況だった。

チェックポイント

  • クラウド労務ソフトの「雇用契約テンプレート」を開き、契約期間のデフォルト値を確認する
  • 有期雇用で採用する場合は、テンプレートを複製して「有期雇用用」テンプレートを作成する
  • 契約期間欄に開始日・終了日・更新の有無が明記されていることを確認する
  • 2024年4月の労働条件明示ルール改正で追加された「更新上限の有無と内容」「無期転換申込機会」の記載欄もチェックする

構造2:労働条件通知書の出力フォーマットで「有期雇用の合理的理由」が記録に残らない

キャリアアップ助成金の審査では、有期契約に合理的な理由があるかどうかも確認される。特にIPO準備中のスタートアップでは、労務DDで助成金の申請書類と有期契約の運用実態の整合性が問われる。

クラウド労務ソフトのテンプレートには、「有期契約の理由」を記載する欄が標準装備されていないものが多い。結果として、なぜ有期雇用にしたのかの記録がどこにも残らず、後から説明を求められたときに対応できない。

なぜこれが問題になるか

朝7時にSlackを開いて最初に飛び込んでくる相談が「昨日面接した人、有期で入れていいですか」だったりする。その場で「有期にする合理的理由を先に言語化して」と返すのだが、多くのスタートアップは「スキル見極め期間だから」の一言で済ませてしまう。

この「スキル見極め」は合理的理由として成立しうるが、それをクラウド労務ソフトのどこに記録するかが問題だ。多くのソフトでは、労働条件通知書の備考欄やカスタムフィールドに手動で入力しない限り、有期雇用の理由は出力されない。

チェックポイント

  • 労働条件通知書のテンプレートに「有期契約の理由」を記載するカスタムフィールドを追加する
  • 「スキル見極め期間」であれば、見極める具体的なスキル項目と評価基準を文書化する
  • 内定通知書・オファーレターに「正社員前提」と書かない(実質無期雇用と判断される可能性がある)
  • 助成金の申請書類とIPO準備書類を統合管理するフローを導入し、書類間の整合性を定期チェックする

構造3:クラウド給与ソフトの賃金台帳出力が法定帳簿の記載要件を満たさない

令和8年4月から、特定求職者雇用開発助成金の申請で賃金台帳の提出が必須化された。これまでは任意添付だったものが必須になったことで、クラウド給与ソフトの出力フォーマットが法定帳簿の記載要件を満たしているかが問題になっている。

労働基準法施行規則第54条で定められた賃金台帳の記載事項は以下の通りだ:

  • 氏名
  • 性別
  • 賃金計算期間
  • 労働日数
  • 労働時間数
  • 時間外・休日・深夜労働の時間数
  • 基本給・手当等の種類と額
  • 控除の種類と額

制度を先に整えてから申請に入る、これが基本だが、クラウド給与ソフトの標準出力では「性別」が省略されていたり、「労働時間数」と「時間外労働時間数」が合算表示されていたりするケースがある。ソフト上のデータとしては保持しているが、PDF出力やCSVエクスポートに含まれていないことが問題になる。

実務で見た典型パターン

業務改善助成金の申請でも同様の問題が起きている。事業場内最低賃金の計算根拠として賃金台帳を提出する際、クラウド給与ソフトの出力で固定残業代が基本給と合算表示されていたケースがあった。固定残業代は最低賃金の計算から除外する必要があるが、出力フォーマットで分離されていないと、審査側で正しく判定できない。

シリーズAのSaaS企業で実際にあったケースでは、月給30万円(固定残業40時間含む)の求人を出していたが、賃金台帳上で固定残業代が分離表示されていなかったために、申請書類のレビュー段階で要件不備が発覚した。

チェックポイント

  • クラウド給与ソフトの「賃金台帳」出力を実際にPDFまたはCSVで出力し、上記8項目がすべて含まれているか確認する
  • 固定残業代が基本給と分離して表示されているか確認する
  • 「性別」欄が出力に含まれているか確認する(従業員マスタに性別を登録していても出力されないソフトがある)
  • 出力フォーマットをカスタマイズできる場合は、法定帳簿の記載要件に合わせて調整する

3つの構造に共通する根本原因

これら3つの構造に共通しているのは、「クラウド労務ソフトの開発元は助成金の申請要件を前提に設計していない」という事実だ。

クラウド労務ソフトは、労働基準法・労働契約法・社会保険の手続きを効率化するために設計されている。助成金の申請要件は厚生労働省の各局が個別に定めており、ソフトの標準テンプレートがそれらを網羅することは構造的に難しい。

だからこそ、導入初日に以下の3つを確認するだけで、助成金の不支給リスクは大幅に下がる:

  1. 雇用契約テンプレートの契約期間デフォルト値を「期間の定めなし」から変更可能にしておく
  2. 労働条件通知書テンプレートに「有期契約の理由」欄をカスタムフィールドで追加する
  3. 賃金台帳のPDF/CSV出力を1回実行し、法定8項目が含まれているか目視確認する

所要時間は30分。これで数百万円の助成金を取りこぼさなくて済む。

FAQ

Q1. クラウド労務ソフトを使っていれば労務管理は万全ではないのですか?

クラウド労務ソフトは入退社手続きや給与計算の効率化には優れていますが、助成金の申請要件に最適化されたテンプレートを標準装備しているわけではありません。導入後に助成金の要件に合わせたカスタマイズが必要です。

Q2. すでにデフォルト設定で労働条件通知書を発行してしまった場合、リカバリーは可能ですか?

支給申請前であれば、労働条件通知書の再発行と雇用契約書の締結し直しでリカバリーできる場合があります。ただし、遡及的な修正は認められないため、修正日以降の期間しか有期雇用として扱われません。早期発見が重要です。

Q3. どのクラウド労務ソフトなら助成金に対応していますか?

特定のソフトが「助成金対応」を謳っているケースもありますが、助成金の要件は毎年度改正されるため、ソフト任せにせず自社でテンプレートを確認・カスタマイズする運用が必要です。ソフトの選定よりも、導入後の設定チェックが重要です。

Q4. 賃金台帳の法定要件を満たしていない場合、助成金以外にもリスクはありますか?

はい。賃金台帳は労働基準法第108条で作成・保存が義務付けられた法定帳簿です。記載要件を満たしていない場合、労働基準監督署の調査で指摘を受ける可能性があります。IPO準備中の企業では、労務DDでも確認対象になります。

Q5. 有期契約の合理的理由として「スキル見極め」は認められますか?

「スキル見極め期間」は合理的理由として成立しうりますが、具体的にどのスキルを・どのような基準で・いつまでに見極めるかを文書化しておく必要があります。漠然とした「お試し期間」では、IPO審査で有期契約の合理的理由の説明を求められた際に対応できません。

まとめ

クラウド労務ソフトは、スタートアップのバックオフィスを劇的に効率化するツールだ。だが、「導入した=助成金の要件も満たしている」ではない

今回解説した3つの構造(契約期間のデフォルト設定、労働条件通知書の出力フォーマット、賃金台帳の法定要件)は、いずれも導入初日の30分の設定チェックで防げるものばかりだ。

助成金は制度設計の副産物として狙うのが本筋。まずは自社の労務管理の現状を確認し、クラウド労務ソフトのテンプレート設定を助成金の要件に合わせてカスタマイズすることから始めてほしい。

参考文献