結論から言うと、令和8年度の業務改善助成金は令和7年度から3つの大きな要件変更があり、スタートアップが「去年と同じ感覚」で準備を進めると申請すらできなくなるリスクがある。

私のクライアントでも、実際に令和7年度と同じ要件のつもりで準備を進めていた3社で要件不備が発覚し、申請計画の見直しを余儀なくされた。この記事では、スタートアップが見落としやすい3つの変更点と、9月の申請開始に向けた逆算スケジュールを解説する。

業務改善助成金とは|令和8年度の基本情報

業務改善助成金は、事業場内で最も低い賃金(事業場内最低賃金)を引き上げ、生産性向上のための設備投資等を行う中小企業・小規模事業者を支援する制度だ。令和8年度の助成上限額は一般事業者で最大450万円、特例事業者(物価高騰等の影響を受ける事業者)で最大600万円となっている。

令和8年度はコース区分が50円・70円・90円の3コースに再編され、助成率は引上げ前の事業場内最低賃金が1,050円未満なら4/5、1,050円以上なら3/4に簡素化された。

変更点1|対象労働者が「雇用保険被保険者」に限定された

スタートアップでよくあるのが、週20時間未満のパートタイマーやインターンを賃上げ対象にカウントしてしまうパターンだ。令和8年度から、賃上げの対象となる労働者は雇用保険被保険者に限定された。

具体的には、以下の労働者は対象外となる。

  • 週の所定労働時間が20時間未満のパートタイマー
  • 31日以上の雇用見込みがない短期雇用者
  • 学生アルバイト(雇用保険の適用除外)

私のクライアントのシリーズAのSaaS企業(社員20名)では、バックオフィスの週15時間パートタイマー2名を賃上げ対象にカウントして助成金額を見積もっていたが、雇用保険被保険者要件を確認したところ対象外であることが判明した。対象労働者の数は助成上限額に直結するため、パートタイマーを含めていた場合は申請設計をやり直す必要がある。

対策|雇用保険加入状況の棚卸し

申請準備の第一歩として、対象事業場の全労働者について雇用保険の加入状況を確認する。週20時間未満の労働者で賃上げ対象にしたい場合は、所定労働時間の変更と雇用保険の資格取得手続きを先に行う必要がある。ただし、雇用期間の要件(後述)との兼ね合いもあるため、スケジュールの逆算が不可欠だ。

変更点2|雇用期間要件が「3ヶ月→6ヶ月」に延長された

令和7年度までは雇入れ後3ヶ月以上の労働者が対象だったが、令和8年度からは雇入れ後6ヶ月以上に延長された。この変更は、スタートアップのように採用サイクルが短い企業ほど影響が大きい。

たとえば、2026年4月に採用した社員を賃上げ対象にする場合、6ヶ月経過は10月以降となる。9月の申請開始時点では要件を満たさない計算だ。

スタートアップが陥りやすいケース

  • 資金調達後の大量採用:シリーズAの資金調達直後に5名を一括採用し、全員を賃上げ対象にカウントしていたが、6ヶ月経過を待つと申請期限に間に合わない
  • 新規事業の立ち上げメンバー:新規事業部門に配属した中途採用者を対象にしようとしたが、入社から6ヶ月未満で対象外

対策|逆算カレンダーの作成

9月の申請開始から逆算すると、2026年3月以前に入社した社員が6ヶ月要件を満たす。4月以降の入社者を対象にしたい場合は、申請を10月〜11月に後ろ倒しする必要があるが、申請期限との兼ね合いで時間的余裕がない。制度を先に整えてから採用計画を立てるのが鉄則だ。

変更点3|申請期間が「通年→9月〜11月」に限定された

これが最も見落とされやすい変更だ。令和7年度までは通年で申請を受け付けていたが、令和8年度からは申請受付が9月1日開始、締切は「地域別最低賃金の発効日の前日」または「11月末日」のいずれか早い日に限定された。

スタートアップのバックオフィスは少人数で兼務していることが多く、「時間ができたら申請しよう」で先延ばしにしがちだ。通年申請のつもりで準備を後回しにしていたクライアント(社員15名のSaaS企業)は、この変更を6月に知って慌てて準備を始めたが、8月末までに準備を完了させなければ間に合わないスケジュールだった。

特に注意すべきポイント

  • 賃上げは交付申請より後に実施する必要がある(事後申請は不可)
  • 申請→交付決定→賃上げ実施→設備投資の順序を守らなければならない
  • 交付決定まで2〜3週間かかるため、9月申請でも賃上げ実施は10月以降になる

追加の落とし穴|固定残業代の事業場内最低賃金計算

コース再編や申請期間以外にも、事業場内最低賃金の計算で躓くスタートアップは多い。以前、シリーズAのSaaS企業(社員20名)から業務改善助成金の相談を受けた際、月給30万円(固定残業40時間含む)の求人を出しており、事業場内最低賃金は十分高いと思い込んでいたケースがあった。

しかし、固定残業代は事業場内最低賃金の計算から除外しなければならない。固定残業代を除外して時給換算し直したところ、想定より大幅に低い金額だったことが申請書類のレビュー時に判明した。

事業場内最低賃金の計算で除外すべき手当は以下の通りだ。

  • 固定残業代(みなし残業代)
  • 精皆勤手当
  • 通勤手当
  • 家族手当
  • 臨時に支払われる賃金(賞与等)

朝のヨガを終えてSlackを開いたら「月給制でも助成金もらえますか?」という相談が入っていることがよくあるが、スタートアップに多い固定残業代込みの月給表記は、助成金の計算では毎回落とし穴になる。申請前に必ず固定残業代を除外した時給換算を行うことを強く勧める。

令和8年度のコース再編と助成上限額一覧

令和7年度までの30円・45円・60円・90円の4コースが、令和8年度は50円・70円・90円の3コースに再編された。最低でも時給50円以上の引き上げが必要になったため、30円や45円の小幅な賃上げでは申請できなくなった。

コース 引上げ額(時給) 助成上限額(1人) 助成上限額(2〜3人) 助成上限額(4〜6人) 助成上限額(7人以上)
50円コース 50円以上 30万円 50万円 70万円 100万円
70円コース 70円以上 50万円 100万円 150万円 200万円
90円コース 90円以上 90万円 150万円 270万円 450万円

※特例事業者の場合、90円コース・10人以上で最大600万円まで引き上げ可能。

9月申請に向けた逆算スケジュール

結論から言うと、9月1日の申請開始に間に合わせるには、遅くとも7月中に準備を開始する必要がある。以下が逆算スケジュールだ。

  1. 7月:対象労働者の棚卸し(雇用保険加入状況・雇用期間の確認)、事業場内最低賃金の正確な計算
  2. 7月〜8月:設備投資の見積もり取得、導入計画の策定
  3. 8月:申請書類の作成・社内決裁
  4. 9月1日以降:交付申請(できるだけ早く)
  5. 9月下旬〜10月:交付決定(申請から2〜3週間)
  6. 交付決定後:賃上げ実施・設備投資の実行

スタートアップは「まず動く、整えるのは後」が文化だが、業務改善助成金は交付決定→賃上げ実施→設備投資という順序を守らなければ不支給になる。助成金ありきではなく、まず労務管理の現状を確認し、その上で助成金を副産物として活用するのが正しい順序だ。

よくある質問(FAQ)

Q1. 令和7年度に30円コースで申請していたが、令和8年度も同じ賃上げ幅で申請できるか?

A. できない。令和8年度は30円・45円コースが廃止され、最低50円以上の引き上げが必要。既に令和7年度に30円引き上げた場合、追加で20円以上の引き上げが必要になるが、新たな50円コースとして申請するには事業場内最低賃金から50円以上の引き上げが要件となる。

Q2. 雇用保険未加入のパートタイマーを今から加入させれば対象になるか?

A. 所定労働時間を週20時間以上に変更し、雇用保険の資格取得手続きを行えば対象になり得る。ただし、雇入れ後6ヶ月以上の要件があるため、スケジュールの逆算が必要。

Q3. 固定残業代を減らして基本給を上げれば事業場内最低賃金は上がるか?

A. 固定残業代は事業場内最低賃金の計算から除外されるため、固定残業代を減額して同額を基本給に移行すれば、計算上の事業場内最低賃金は上がる。ただし、就業規則・雇用契約書の変更が必要であり、不利益変更にならないよう慎重な設計が求められる。

Q4. 申請期間が9月〜11月に限定されたが、設備投資の実施期限はいつまでか?

A. 交付決定後、事業実施期限(通常は翌年1月末頃)までに設備投資を完了し、支給申請を行う必要がある。具体的な期限は交付決定通知書に記載されるため確認が必要。

Q5. 一般車両が対象外になったが、営業車は助成対象か?

A. 令和8年度から一般車両(普通乗用車・軽自動車等)は助成対象外となった。ただし、8ナンバーの特殊用途自動車(冷凍冷蔵車、保冷車等)は引き続き対象。営業車が普通乗用車の場合は対象外。

参考文献