従業員承継(MBO)を検討する中小企業オーナーから「株式譲渡と事業譲渡、どっちがいいですか」という相談をよく受ける。顧問税理士に聞くと「税金が安い方で」と返ってくるケースが多いが、融資審査の目線で言うと、この判断軸だけでは足りない

補助金の対象枠が変わる、融資のDSCR設計が根本的に変わる、そして税引後の手取りが想定と大きくずれる——この3つが同時に起きるのが従業員承継のスキーム選択だ。今回は、年商3億円・経常利益率4%の製造業モデルで、株式譲渡と事業譲渡それぞれの5年PLを回して構造を検証する。

そもそも従業員承継の「株式譲渡」と「事業譲渡」は何が違うのか

まず整理しておきたい。株式譲渡は、オーナーが保有する株式を後継者(従業員)に売却する方法だ。会社の法人格はそのまま継続し、契約関係・許認可・従業員の雇用契約もすべて引き継がれる。後継者は「会社ごと買う」イメージになる。

一方、事業譲渡は、会社の事業の全部または一部を後継者(個人事業主または新設法人)に売却する方法だ。個々の資産・負債・契約を個別に移転するため、不要な負債や簿外債務を切り離せる反面、取引先との契約や許認可の再取得が必要になる。

この構造の違いが、補助金・融資・税金の3つの領域でまったく異なる結果を生む。

パターン1:事業承継・M&A補助金の「枠」が使えなくなる

事業承継・M&A補助金(15次公募、2026年7月24日締切)には4つの枠がある。従業員承継で最も使いやすいのは事業承継促進枠(補助上限800万円、補助率2/3)だ。この枠は「5年以内に親族内承継または従業員承継を予定している者」が対象で、設備投資に使える。

ここで問題になるのが、事業譲渡で承継した場合の扱いだ。事業譲渡で後継者が新設法人を作って事業を買い取るスキームでは、法人格の継続性が断たれるため、事業承継促進枠の「承継」要件との整合性で申請書の書き方が格段に難しくなる。

PLの構造を見ると、この差は大きい。年商3億円企業の場合、事業承継促進枠の補助800万円(補助率2/3)を設備投資1,200万円に充当できれば、自己負担は400万円で済む。これが使えないとなると、自己負担が丸々1,200万円に膨らみ、DSCRが1.22→1.05まで低下する計算になる。

一方、株式譲渡であれば法人格は継続するため、事業承継促進枠の申請はストレートに通りやすい。スキーム選択の段階で補助金の活用可否が分かれるという点を、多くの後継者が見落としている。

パターン2:融資の返済構造とDSCR設計が根本的に変わる

銀行はここを見ている。株式譲渡と事業譲渡では、銀行が審査する対象が根本的に異なる。

株式譲渡の場合

後継者は「株式の買取資金」を借りる。これは運転資金扱いで、日本政策金融公庫の事業承継・集約・活性化支援資金なら最長10年返済・据置5年が可能だ。年商3億円・経常利益率5%のモデルで株式買取6,000万円を公庫10年返済で組むと、5年目のDSCRは1.65を維持できる。

私が以前支援したMBO案件では、退職金3,000万円で株価を引き下げたうえで公庫の長期返済を組み合わせ、DSCR1.65を維持する設計で融資審査を通した。公庫=株式買取(10年返済)、民間銀行=承継後の設備投資融資という役割分担が最も安定する。

事業譲渡の場合

後継者は「事業用資産の取得資金」を借りる。個々の資産(機械設備・在庫・営業権等)の取得になるため、融資の性格が設備資金+運転資金の混合になりやすい。問題は3つある。

  1. 営業権(のれん)の評価が曖昧になりやすい:株式譲渡なら株価算定(DCF法・類似業種比準等)で一本化できるが、事業譲渡では営業権を独立して算定する必要があり、銀行の稟議書が通りにくい
  2. 担保設定が複雑になる:株式譲渡なら既存の担保関係がそのまま引き継がれるが、事業譲渡では資産ごとに担保を再設定する手間とコストが発生する
  3. 返済期間が短くなりがち:事業用資産の取得は設備資金として扱われるが、営業権部分は運転資金扱いで最長7年返済になることが多い。混合融資のDSCRは株式譲渡の公庫10年返済と比べて0.2〜0.3ポイント低くなる

年商3億円モデルで事業譲渡(資産総額6,000万円・うち営業権2,000万円)を民間銀行の混合融資(設備10年+運転7年)で組むと、5年目DSCRは1.28程度にとどまる。株式譲渡の公庫10年返済(DSCR 1.65)との差は0.37ポイント。この差が追加融資の枠を決定的に左右する。

パターン3:税引後の手取りが「安い方」で選んだはずなのに逆転する

税金の比較は多くの解説記事が扱っているが、従業員承継特有の落とし穴がある。

株式譲渡の税金

オーナー(売り手・個人)に対して、譲渡益に所得税15.315%+住民税5%=約20.315%が課税される。分離課税なのでシンプルだ。株式の譲渡価格6,000万円、取得費(出資額)500万円なら、譲渡益5,500万円×20.315%=約1,117万円の税負担になる。

事業譲渡の税金

こちらは複雑だ。まず法人に対して、事業譲渡益に法人税等(実効税率約34%)が課税される。さらに、オーナーが残余財産を受け取る段階でみなし配当課税(最大約55%の総合課税)が発生する可能性がある。加えて、事業譲渡には消費税(対象資産に10%)がかかる。

同じ6,000万円の譲渡でシミュレーションすると、事業譲渡では法人税約700万円+消費税(課税資産分)約200万円が先に発生し、さらに清算時のみなし配当で数百万円が上乗せされる。トータルの税負担は株式譲渡の約1.5〜2倍に膨らむケースが珍しくない。

「税理士が事業譲渡の方が有利と言った」というケースを精査すると、多くは清算時のみなし配当課税を計算に入れていないか、消費税の負担を後継者側に転嫁する前提で試算していることが多い。後継者側に消費税が転嫁されれば、その分だけ買取資金が膨らみDSCRがさらに悪化する。

3パターンの比較表:年商3億円・経常利益率4%モデル

比較項目株式譲渡事業譲渡
事業承継促進枠(補助800万円)申請しやすい法人格断絶で申請困難
融資形態公庫10年返済(据置5年)混合融資(設備10年+運転7年)
5年目DSCR1.651.28
オーナー税負担(譲渡額6,000万円)約1,117万円約1,700万〜2,200万円
許認可の引継ぎ自動継続再取得が必要
簿外債務リスク引き継ぐ切り離せる

では事業譲渡を選ぶべきケースはあるのか

ある。以下の3条件のいずれかに該当する場合は、事業譲渡の方が合理的になる。

  1. 簿外債務・偶発債務のリスクが大きい:先代の経営期間が長く、未払残業代や環境汚染対策費などの潜在リスクが特定できない場合、事業譲渡で切り離す方が後継者の財務を守れる
  2. 不採算部門を切り離して承継したい:複数事業を展開している会社で、後継者が一部の事業だけを引き継ぐ場合
  3. オーナーが会社を存続させたい(承継後も別事業で法人を使う):株式譲渡では法人ごと渡すため、オーナーの手元に法人が残らない

ただし、いずれのケースでもDSCR1.2を5年間維持できる設計を先に確認すべきだ。事業譲渡を選ぶ合理的理由があっても、融資が通らなければ承継自体が成立しない。

後継者がスキーム選択の「前」にやるべき3ステップ

朝5時に決算分析をする習慣がある私でも、このスキーム比較は1日では終わらない。だが、以下の3ステップを順に進めれば、最短2〜3週間で判断材料が揃う。

  1. 自社株評価の算定(税理士と協働、2〜4週間):類似業種比準方式と純資産価額方式の両方で算出。退職金による引き下げ効果も試算する
  2. 株式譲渡・事業譲渡それぞれの5年PLシミュレーション(1〜2週間):DSCR1.2を維持できる投資上限を逆算し、補助金の活用可否を織り込む。PLの構造を見ると、返済期間の差がDSCRに直結することが見える
  3. 銀行への事前相談(0ヶ月目に並行スタート):株式譲渡・事業譲渡の両パターンの5年PLを持参し、融資可能性と条件を確認する。この相談は税理士との自社株評価と並行して進めるのが鉄則——直列にすると3〜6ヶ月のロスが出る

事業承継・M&A補助金15次公募の締切は2026年7月24日だ。補助金の活用を視野に入れるなら、スキーム選択は今月中に方向性を固める必要がある。

まとめ:スキーム選択は「税金」ではなく「DSCR×補助金×税金」の三軸で判断する

従業員承継で株式譲渡と事業譲渡のどちらを選ぶかは、税金の比較だけでは答えが出ない。補助金の対象枠、融資の返済構造、税引後の手取り——この3つを5年PLに落とし込んで初めて、合理的な判断ができる。

銀行員時代に1,000件以上の融資審査を担当した経験から言えば、「構造」で決まる判断を「感覚」で選ぶと、5年後に取り返しのつかない差が生まれる。後継者は税理士・銀行・補助金コンサルの三者を同席させるキックオフミーティングを、スキーム選択の前に設定してほしい。

よくある質問(FAQ)

Q1. 従業員承継で株式譲渡と事業譲渡、どちらが一般的ですか?

中小企業の従業員承継では株式譲渡が主流です。法人格がそのまま継続するため、許認可・取引先契約・従業員の雇用契約が自動的に引き継がれ、手続きコストが格段に低くなります。事業譲渡を選ぶのは、簿外債務リスクの遮断や不採算部門の切り離しなど、明確な理由がある場合に限られます。

Q2. 事業譲渡でも事業承継・M&A補助金は使えますか?

事業譲渡の場合、事業承継促進枠は法人格の継続性が断たれるため申請が困難です。ただし、専門家活用枠(FA費用・DD費用の補助)やPMI推進枠(統合後の投資補助)は、事業譲渡のスキームでも活用できる可能性があります。公募要領の要件を事前に確認してください。

Q3. 株式譲渡で後継者が株式買取資金を借りる場合、どの金融機関が有利ですか?

日本政策金融公庫の「事業承継・集約・活性化支援資金」が第一選択です。運転資金として最長10年返済・据置5年が利用でき、経営者保証免除特例制度の併用も可能です。民間銀行は運転資金扱いで最長7年返済のため、DSCRが0.2〜0.3ポイント低くなります。公庫で株式買取、民間で承継後の設備投資という役割分担設計が最適です。

Q4. 事業譲渡で消費税はどのくらいかかりますか?

事業譲渡では、課税資産(機械設備・棚卸資産・営業権等)に消費税10%が課税されます。土地や有価証券は非課税ですが、製造業の場合は機械設備と営業権が大部分を占めるため、譲渡額の60〜80%が課税対象になるケースが多いです。この消費税負担をオーナー側と後継者側のどちらが実質的に負担するかで、資金計画が大きく変わります。

Q5. スキーム選択はいつまでに決めるべきですか?

事業承継・M&A補助金15次公募(2026年7月24日締切)の活用を視野に入れるなら、遅くとも2026年6月中にスキームの方向性を確定させ、銀行への事前相談と補助金申請準備を並行して進める必要があります。自社株評価の算定に2〜4週間かかることを逆算してください。

参考文献