従業員承継(MBO)は、番頭格の社員に会社を託す選択肢として近年注目を集めています。しかし融資審査の目線で言うと、MBOには親族内承継やM&Aとは異なる構造的なリスクが潜んでいます。
それは、株式買取資金が銀行では「運転資金」に分類されるという点です。設備資金なら15〜20年で返済できるところ、運転資金扱いでは最長7年。据置期間が終わった瞬間に返済負担が跳ね上がり、DSCR(債務返済余裕率)が急落する——この構造を理解しないまま融資を受けると、承継後の設備投資や事業拡大に必要な追加融資枠まで失うことになります。
本記事では、年商3億円・経常利益率5%の製造業モデルを使い、MBOの株式買取資金がDSCRに与える影響を5年PLでシミュレーションします。
従業員承継(MBO)の株式買取資金が「運転資金扱い」になる理由
銀行の融資審査では、資金使途を「設備資金」と「運転資金」に分類します。設備資金は機械や不動産など有形資産の取得に充てるもので、担保設定が可能なため返済期間は15〜20年に設定されます。
一方、株式の取得は「有形資産の取得」に該当しません。銀行はここを見ているのですが、株式は時価変動リスクがあり、担保としての評価が安定しないため、運転資金に分類されます。その結果、返済期間は最長7年(据置期間1〜2年)に制限されるのが一般的です。
MBOで株式を8,000万円で買い取る場合、7年返済(据置1年)では据置期間後の年間返済額は約1,333万円。これが既存借入の返済500万円/年に上乗せされ、年間返済総額は1,833万円に達します。
【5年PLシミュレーション】据置期間後にDSCRが急落する構造
以下の条件でシミュレーションします。
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 年商 | 3億円 |
| 経常利益率 | 5%(経常利益1,500万円) |
| 減価償却費 | 800万円/年 |
| 既存借入返済 | 500万円/年 |
| 株式買取資金 | 8,000万円(7年返済・据置1年) |
| 据置期間後の年間返済額 | 約1,333万円 |
PLの構造を見ると、DSCRの推移は以下のとおりです。
| 年度 | 返済総額 | DSCR | 判定 |
|---|---|---|---|
| 承継前 | 500万円 | 4.60 | ◎ |
| 1年目(据置中) | 500万円+利息約120万円 | 3.71 | ◎ |
| 2年目(返済開始) | 1,833万円 | 1.25 | △ |
| 3年目 | 1,833万円 | 1.25 | △ |
| 4年目 | 1,833万円 | 1.18 | ▲ |
| 5年目 | 1,833万円 | 1.02 | × |
※ DSCR=(経常利益+減価償却費)÷ 年間返済総額。4〜5年目は設備の経年劣化による売上微減と修繕費増を織り込み。
据置期間中のDSCR3.71は問題ありませんが、返済が始まる2年目に1.25まで低下し、5年目には1.02——つまり稼いだキャッシュのほぼ全額が返済に消える水準に陥ります。
DSCR急落が引き起こす3つの連鎖被害
構造①:追加融資枠の消失——設備更新ができない
銀行の内部格付けでは、DSCRが1.2を下回ると「要注意先」への格下げリスクが発生します。格付けが下がると、既存の融資枠の見直しが入るだけでなく、新規の設備投資融資が事実上不可能になります。
MBOで承継した後継者が「承継後に設備を入れ替えて競争力を上げたい」と考えていても、DSCRが1.02の状態では銀行は追加融資に応じません。設備更新の遅延は売上低下を招き、さらにDSCRが悪化する悪循環に入ります。
構造②:既存借入の金利見直し——返済負担がさらに増加
格付けダウンは新規融資だけでなく、既存借入にも波及します。変動金利の既存融資がある場合、金利見直しが入り0.3〜0.5%の上昇が発生するケースがあります。年間返済額が数十万円増加し、すでにギリギリのDSCRをさらに圧迫します。
構造③:賃上げ要件との複合——補助金活用が裏目に出る
事業承継・M&A補助金(事業承継促進枠)を活用して設備投資の自己負担を減らそうとしても、補助金には賃上げ要件(年率3.5%)が付きます。年商3億円企業の人件費が1億円とすると、3.5%の賃上げは年間350万円の追加コスト。株式買取の返済負担と賃上げコストが同時にかかると、3年目にはフリーCFがほぼゼロになる構造です。
回避策①:退職金による自社株評価の引き下げ——買取総額を2〜3割圧縮する
朝5時に決算書を広げてシミュレーションを回していると、MBO案件で最も効果が大きいのは株式の買取総額そのものを減らす設計だと確信します。
先代経営者への退職金支給は、会社の純資産を圧縮し、自社株評価額を引き下げる効果があります。年商3億円・純資産1億円の企業で退職金3,000万円を支給すると、純資産は7,000万円に減少。類似業種比準方式での自社株評価額は2〜3割低下し、買取総額を8,000万円→5,500〜6,000万円に圧縮できる可能性があります。
ただし注意点があります。退職金の支給額はDSCRの1.2維持ラインから逆算すべきであり、株価引き下げ効果から決めてはいけません。退職金を支給した年度の自己資本比率が急落し、その年度の格付けが下がるリスクがあるためです。退職金を分割払い(2〜3年に分散)にすることで、BSへの影響を平準化する設計が有効です。
回避策②:日本政策金融公庫の活用——返済期間を10年に延長する
日本政策金融公庫の「事業承継・集約・活性化支援資金」は、株式取得資金を含む運転資金について最長10年(据置5年以内)の返済期間を設定できます。民間銀行の7年に対して3年長く、さらに据置期間も最大5年まで設定可能です。
買取総額を退職金で5,500万円に圧縮し、公庫の10年返済(据置2年)で借りた場合のDSCR推移を見てみましょう。
| 年度 | 返済総額 | DSCR | 判定 |
|---|---|---|---|
| 1年目(据置中) | 500万円+利息約80万円 | 3.97 | ◎ |
| 2年目(据置中) | 500万円+利息約80万円 | 3.97 | ◎ |
| 3年目(返済開始) | 500万円+688万円 | 1.94 | ○ |
| 4年目 | 1,188万円 | 1.78 | ○ |
| 5年目 | 1,188万円 | 1.65 | ○ |
5年目のDSCRが1.65と、銀行の安全圏(1.2以上)を十分に維持できる構造になります。この状態なら、3年目以降に設備投資の追加融資を受ける余力も残ります。
なお、2026年現在、公庫では「経営者保証免除特例制度」も利用可能です。後継者が個人保証なしで融資を受けられる可能性があり、MBOの心理的ハードルを下げる効果もあります。
回避策③:事業承継・M&A補助金(事業承継促進枠)との組み合わせ設計
事業承継・M&A補助金の事業承継促進枠(15次公募:2026年7月24日締切)は、従業員承継を含む事業承継後の設備投資を最大800万円(補助率2/3)支援します。
重要なのは、この補助金は株式買取資金には使えないという点です。対象は承継後の設備投資・販路拡大費用に限定されます。しかし、設備投資の自己負担を圧縮することで、間接的にCFを改善する効果があります。
たとえば1,200万円の設備投資を計画している場合、補助金800万円を活用すれば自己負担は400万円。補助金なしで全額融資した場合と比べ、年間返済額を約114万円削減でき、DSCRの下支えになります。
ただし補助金の賃上げ要件(年率3.5%)と株式買取の返済を同一の5年PLでストレステストすることが必須です。
MBO後継者が最初にやるべき3ステップ
- 自社株評価の算定:顧問税理士に依頼し、類似業種比準方式・純資産価額方式の両方で試算。退職金による引き下げ余地を数字で把握する
- 5年PLの作成:株式買取の返済負担+既存借入+想定設備投資を織り込み、DSCRが5年間1.2以上を維持できるかを検証する
- 金融機関への事前相談:公庫と民間銀行の両方に、5年PLを持参して事前相談。返済期間・据置期間の選択肢を比較し、DSCR1.2維持に最適な組み合わせを設計する
私がメガバンクの融資課で1,000件以上の審査を担当してきた経験から言えるのは、採択される事業計画には「代替案の検討痕跡」があるということです。公庫だけでなく民間銀行にも並行相談している後継者、退職金の分割パターンを複数シミュレーションしている後継者——審査部はそうした準備の厚みを見ています。
よくある質問(FAQ)
Q1. 従業員承継(MBO)で株式買取資金を借りる場合、個人で借りるのか法人で借りるのか?
一般的には後継者個人が借りるケースと、持株会社(SPC)を設立して法人として借りるケースの2パターンがあります。個人借入は手続きがシンプルですが返済原資が役員報酬に限定されます。SPCスキームは返済期間を長く設定しやすい反面、設立コストと維持コストがかかります。年商3億円規模であれば、まず個人借入+公庫の長期返済で設計し、買取総額が1億円を超える場合にSPCスキームを検討するのが実務的です。
Q2. 先代経営者への退職金はいくらまで出せるのか?
税務上の適正額は「最終月額報酬×在任年数×功績倍率」で計算します。功績倍率は社長で3.0倍が目安ですが、過大退職金と認定されると損金不算入になります。さらに融資審査の観点では、退職金支給後もDSCR1.2を維持できる金額に抑える必要があります。税理士と銀行の両方に事前確認することを強くお勧めします。
Q3. 日本政策金融公庫と民間銀行、どちらで借りるべき?
返済期間と据置期間の柔軟性では公庫が有利です(運転資金:最長10年・据置5年)。一方、民間銀行は既存の取引関係があるため審査が早い場合があります。実務的には公庫で株式買取資金の長期返済を組み、民間銀行で承継後の設備投資融資を受ける——という役割分担設計が最もDSCRを安定させます。
Q4. 事業承継・M&A補助金は従業員承継でも使えるのか?
はい。事業承継促進枠は、親族内承継だけでなく従業員承継(5年以内に実施または実施予定)も対象です。ただし対象経費は設備投資・販路拡大費等であり、株式買取資金そのものは補助対象外です。15次公募(2026年7月24日締切)の公募要領で詳細を確認してください。
Q5. 株式買取の融資審査で銀行が最も重視するポイントは?
銀行審査部が最も重視するのは「返済原資の確実性」です。具体的には、①既存事業のキャッシュフローが安定しているか、②後継者の経営能力(実務経験年数・業界知識)、③株式評価額の妥当性(第三者評価の有無)の3点です。5年PLで保守的なシナリオ(売上横ばい+コスト増)でもDSCR1.2を維持できることを示せるかが合否の分かれ目です。
まとめ
従業員承継(MBO)は後継者不在問題の有力な解決策ですが、株式買取資金が「運転資金扱い・最長7年返済」になる構造を理解しないまま進めると、据置期間後にDSCRが急落し、承継後の事業成長に必要な追加融資枠まで失うリスクがあります。
回避のポイントは3つ。①退職金による自社株評価の引き下げで買取総額を圧縮する、②日本政策金融公庫の10年返済を活用して返済負担を平準化する、③事業承継・M&A補助金で設備投資の自己負担を減らしCFを下支えする。
まずは自社株評価の算定と5年PLの作成から始めてください。数字が揃えば、銀行との事前相談で具体的な設計に入れます。
参考文献
- 日本政策金融公庫「事業承継・集約・活性化支援資金」(公式ページ、2026年6月閲覧)
- 事業承継・M&A補助金 15次公募 公募要領(中小企業基盤整備機構、2026年5月公開)
- 中小企業庁「事業承継ガイドライン」(第3版、2022年改訂)
- 中小機構「事業承継・M&A補助金(15次公募)の公募要領公開について」(2026年5月22日)






