事業承継の相談で最近増えているのが「設備投資の補助金はどちらを使えばいいのか」という問い合わせだ。事業承継・M&A補助金(事業承継促進枠)と、2026年度に統合された新事業進出・ものづくり補助金——この2つは併存しているが、対象となる投資規模も、審査で問われるポイントも、承継後の財務に与える影響もまるで違う。
融資審査の目線で言うと、補助金の制度選びを間違えた時点で、その後の5年PLが歪む。補助上限の大きさに目を奪われて制度を選ぶ後継者が少なくないが、銀行が見ているのは「補助金をもらった後の返済余力」だ。
今回は、年商3億円・経常利益率4%の製造業モデルを使って、2つの補助金を3つの軸——補助率と補助上限・賃上げ要件のコスト差・DSCRへの影響——で比較する。
2つの補助金の基本スペックを並べる
まず、両制度の違いを整理しておく。
| 比較項目 | 事業承継・M&A補助金 (事業承継促進枠) | 新事業進出・ものづくり補助金 (革新的新製品枠) |
|---|---|---|
| 補助上限 | 800万円(賃上げ加点で1,000万円) | 2,500万〜9,000万円(従業員規模別) |
| 補助率 | 1/2(小規模2/3) | 1/2(小規模2/3) |
| 補助下限 | なし | 750万円 |
| 賃上げ要件 | 上限引上げの加点項目(必須ではない) | 年率3.5%以上(必須) |
| 付加価値額要件 | なし | 年平均4.0%以上成長(必須) |
| 承継要件 | 5年以内の親族内・従業員承継が必要 | 不要 |
| 第1回締切 | 15次:2026年7月24日 | 第1回:2026年9月30日 |
パターン1:補助上限の大きさだけで「ものづくり補助金」を選び、賃上げ要件3.5%の5年累計コストを見落とす
設備投資3,500万円を予定している後継者が「上限800万円では足りない」と判断し、ものづくり補助金を選ぶケースは多い。補助額だけ見れば合理的に見える。しかしPLの構造を見ると、景色が変わる。
ものづくり補助金には賃上げ要件3.5%が必須で付いてくる。年商3億円・従業員30名・平均年収400万円のモデルで試算すると、賃上げ3.5%の5年累計コストは約5,780万円に達する。一方、事業承継・M&A補助金には賃上げの必須要件がない。
つまり、ものづくり補助金で補助額が1,750万円(3,500万円×1/2)に増えても、賃上げコスト5,780万円が5年間のPLに乗る。差し引き約4,000万円のマイナスだ。「補助額が大きいから得」という判断が、5年PLでは逆転する構造がある。
私自身、かつてメガバンクの融資課で審査をしていた時代に、補助金の採択通知を持ってきた経営者に「賃上げの5年累計コストを織り込んだPLはありますか」と聞いて、固まられた経験が何度もある。銀行はここを見ている。
パターン2:投資額800万円以下なのに「ものづくり補助金の方が有名だから」と選び、補助下限750万円に引っかかる
事業承継直後の設備投資が500万〜700万円程度の小規模なケースでは、ものづくり補助金には補助下限750万円(補助金額ベース)があるため、そもそも申請できない。投資額1,500万円未満(補助率1/2の場合)では事業承継・M&A補助金一択になる。
しかし、この下限の存在を知らずにものづくり補助金の申請準備を進め、申請直前に気づいて慌てて事業承継・M&A補助金に切り替えた結果、15次公募の締切(2026年7月24日)に間に合わなくなる——という相談が実際にある。
事業承継・M&A補助金には補助下限がないため、設備投資100万円からでも申請できる。承継直後の小規模な設備更新には、こちらが構造的に向いている。
パターン3:両方に併願して自己負担が合算され、退職金・株式取得との三重負担でDSCR1.0割れ
最も危険なのは「使えるものは全部使おう」と両方に申請するパターンだ。事業承継・M&A補助金で専門家費用200万円、ものづくり補助金で設備投資3,500万円——一見合理的だが、自己負担が同一四半期に集中する。
年商3億円モデルで、退職金5,000万円+株式取得2,000万円+設備投資自己負担1,750万円+専門家費用自己負担100万円が重なると、自己資本比率は35%から8%前後まで急落する。DSCR(債務返済カバー率)は1.35から0.88に転落し、銀行の格付けダウンが確実になる。
朝5時から決算書を広げてDSCRを再計算するのが日課だが、併願案件で自己負担の合算を見ると、かなりの確率で赤信号が灯る。補助金を2本取ること自体が悪いのではない。問題は、自己負担の合算額が同じ四半期に集中したときのBS(貸借対照表)への衝撃を事前に計算していないことだ。
制度選びの判断フレームワーク:3ステップで決める
では、どちらを選ぶべきか。以下の3ステップで判断する。
- 投資額で一次振り分け:設備投資が1,500万円未満なら事業承継・M&A補助金一択。1,500万円以上ならものづくり補助金も選択肢に入る。
- 賃上げ吸収可能性をチェック:ものづくり補助金を検討する場合、賃上げ3.5%の5年累計コストを既存事業の利益だけで吸収できるかを5年PLで検証する。経常利益率3%台なら、年4〜5%の売上成長が必要になり、中小製造業の成長率中央値(年2〜3%)では構造的にギャップがある。
- 自己負担の合算でDSCR1.2維持を確認:退職金・株式取得・設備投資の自己負担を合算し、DSCR1.2を5年間維持できるかを銀行向け保守ベースケースPLで検証する。維持できなければ投資額を縮小するか、時期をずらす。
この3ステップを補助金申請の前に済ませておけば、銀行への事前相談もスムーズに進む。銀行向け保守ベースケースPLを先に作り、補助金申請書にそのまま転記するのが二重計画を防ぐ鉄則だ。
2026年下半期の実務タイムライン
現在(2026年7月)の時点で、2つの補助金の申請スケジュールは以下の通りだ。
- 事業承継・M&A補助金 15次公募:2026年7月24日締切 → 採択発表は秋頃
- 新事業進出・ものづくり補助金 第1回:申請受付8月31日〜9月30日締切 → 採択発表は12月頃
7月中に制度選びと投資額を確定させ、銀行事前相談を済ませておくのが最もリスクが低い。制度を途中で切り替えると、銀行事前相談の前提が崩れてタイムロスが発生する。補助金コンサルと銀行担当者と税理士の三者同席キックオフが、制度の選び間違いをほぼゼロにする。
よくある質問(FAQ)
Q1. 事業承継・M&A補助金とものづくり補助金は併願できますか?
制度上、併願は可能です。ただし、同一の経費を二重に計上することはできません。また、自己負担が合算されるため、DSCR1.2維持の観点から5年PLでの事前検証が必須です。年商3億円モデルでは、退職金・株式取得と合わせた自己負担が自己資本の40%を超えると格付けダウンのリスクが急激に高まります。
Q2. 事業承継・M&A補助金の事業承継促進枠に賃上げ要件はありますか?
必須要件としての賃上げはありません。ただし、事業場内最低賃金+50円以上の賃上げを実施すると補助上限が800万円から1,000万円に引き上がる加点制度があります。ものづくり補助金の賃上げ3.5%(必須・5年間)と比べると、財務への影響は限定的です。
Q3. 投資額が2,000万円の場合、どちらの補助金が有利ですか?
事業承継・M&A補助金なら補助額は最大800万円(自己負担1,200万円)、ものづくり補助金なら補助額は最大1,000万円(自己負担1,000万円)。補助額の差は200万円ですが、ものづくり補助金には賃上げ3.5%の5年累計コスト約5,780万円が発生します。DSCRの観点では、賃上げ要件のない事業承継・M&A補助金の方が5年PLへの負荷が小さくなるケースが多いです。
Q4. 事業承継・M&A補助金の15次公募(7月24日締切)に間に合わない場合はどうすべきですか?
次回公募(16次)を待つか、ものづくり補助金(9月30日締切)に切り替えるかの判断になります。切り替える場合は、賃上げ要件3.5%の5年PLへの影響を必ず事前に検証し、銀行への事前相談をやり直してください。制度変更に伴う計画の差し替えは、銀行の稟議上のタイムロスにもなります。






