「補助金が出るから、承継コストの大半はカバーできる」——そう思い込んだ後継者が、融資審査の段階でDSCRを大幅に割り込み、承認を得られないケースが増えている。事業承継・M&A補助金(事業承継促進枠)は確かに強力な支援策だが、退職金・株式取得費・登記費用などは一切補助されない。この「自己負担の穴」を正確に把握せずに資金設計をすると、5年PLが根底から崩れる。本稿では元メガバンク融資課の視点から、よくある3つの誤解パターンとDSCRへの影響を年商3億円モデルで具体的に示す。

事業承継・M&A補助金(事業承継促進枠)の対象経費——公式一覧

まず前提として、補助の対象となる経費を整理しておく。2024年度の公募要領に基づく主な対象経費は以下のとおりだ。

  • 設備投資・改修費:機械装置、システム構築費など
  • 外注費・委託費:デューデリジェンス費、PMI支援費など
  • 販路開拓費:展示会出展、広告宣伝費など
  • 知財関連費:特許取得・ブランド登録費など
  • 専門家活用費:M&Aアドバイザリー費など(上限あり)

補助上限800万円、補助率1/2(小規模事業者は2/3)。つまり自己負担は最低でも400万円は発生する。そして以下は明確に対象外だ。

  • 役員退職金・従業員退職金
  • 株式取得費(MBOの自己資金分含む)
  • 不動産取得・賃借費
  • 登記費用・印紙税等の法定費用
  • 運転資金

融資審査の目線で言うと、この「対象外リスト」こそが5年PLの設計に直撃する。後継者がここを誤解したまま事業計画書を持ち込むと、銀行は即座に修正を求める。

Pattern 1:退職金5,000万円を「補助金で賄える」と誤解したケース

よくある誤解の構造

創業者に「お疲れ様退職金」として5,000万円を支払う計画を立てた後継者が、「承継コストだから補助金が出る」と思い込んだ。実際には退職金は補助対象外のため、全額が自己負担になる。

年商3億円モデルでのDSCR試算

項目誤解前の計画正しい試算
退職金補助金で△2,500万円(自己負担2,500万円想定)全額自己負担5,000万円
調達方法不足分のみ借入2,500万円・10年全額借入5,000万円・10年
年間元利返済額(概算)約290万円約580万円
営業利益(承継後)3,500万円3,500万円
減価償却600万円600万円
DSCR1.35(承認可)0.88(否決)

PLの構造を見ると、退職金2,500万円の誤認が返済原資を半減以下に圧縮し、DSCRが承認ラインの1.2を大きく割る。銀行はここを見ている——提出された事業計画書の「承継コスト総額」と「補助金カバー見込み額」の整合性を、融資審査の初手で必ずチェックする。

Pattern 2:MBO株式取得費8,000万円が「補助対象」と思い込んだケース

よくある誤解の構造

親族外承継でMBOを選択した後継者が、「M&A補助金だからM&Aの費用すべてが出る」と解釈し、株式取得費8,000万円も補助金で賄える想定で計画した。しかし株式取得費は明確に対象外。全額を自己資金または借入で手当てする必要がある。

公庫10年 vs 民間7年でのDSCR差

調達先借入額返済期間年間元利返済額(概算)DSCR
日本政策金融公庫(事業承継ローン)8,000万円10年約880万円1.35
民間銀行プロパー8,000万円7年約1,240万円1.02

営業利益3,500万円・減価償却600万円の会社では、公庫10年ならDSCR1.35で承認圏内に入るが、民間7年ではDSCR1.02と可決・否決の境界線上に落ちる。融資審査の目線で言うと、調達先・返済期間の選択だけでDSCRが0.33も変わる構造は、事業計画書の段階で必ず整理しておくべきだ。補助金が出ないことが確定した時点で、返済期間と調達スキームを再設計しなければならない。

Pattern 3:承継コスト総額に対する「補助金カバー率」の誤算

よくある誤解の構造

設備投資500万円、外注費(DD費)300万円、退職金4,000万円、株式取得費5,000万円、登記費用150万円——承継コスト総額9,950万円に対し、「補助金800万円 × 1/2自己負担 = 400万円の自己負担で済む」と計算した後継者がいた。しかし補助対象はDD費・設備投資の800万円のみ。退職金・株式取得費・登記費は全額自己負担となり、実際の自己負担は9,150万円(9,950万円 − 補助800万円)に達する。

補助金カバー率の正確な計算

費目金額補助対象自己負担
設備投資500万円250万円(1/2)250万円
外注費(DD費等)300万円150万円(1/2)150万円
役員退職金4,000万円0円4,000万円
株式取得費5,000万円0円5,000万円
登記費用等150万円0円150万円
合計9,950万円400万円(補助上限800万円の1/2)9,550万円

補助金カバー率はわずか4%。PLの構造を見ると、9,000万円超の借入を10年で返済するシナリオでは年間元利返済額が990万円前後となり、DSCRは0.82まで落ちる。補助金は「承継を加速する投資コストの一部補助」であり、「承継価格の補填」ではない——この認識の違いが5年PLの精度を決定的に左右する。

正しい資金設計のステップ(年商3億円モデル)

  1. 承継コストを補助対象・非対象に完全分類する:公募要領の対象経費表と照合し、費目ごとに自己負担額を確定させる
  2. 非対象コストの調達スキームを先に設計する:退職金は役員退職金規程に基づく株価評価と連動させ、MBO資金は公庫・信用保証協会・民間を比較して最長返済期間を確保する
  3. 5年PLでDSCR≧1.2を検証する:承継初年度の返済ピーク時でもDSCR1.2を下回らないよう、売上・粗利・固定費のシナリオを保守的に設定する
  4. 補助金は「追加的投資」として計上する:対象経費部分の補助金は確定後に設備投資として5年PLに追記し、採択前の計画では補助金収入をゼロとした保守シナリオを銀行に提示する

銀行はここを見ている——保守シナリオと楽観シナリオの両方を提出できる後継者は、それだけで「PLの構造を理解している」という評価につながる。補助金ありき・なしの両面を想定した計画書が、審査を通過する最短ルートだ。

よくある質問(FAQ)

Q1. 補助金の採択前に銀行融資を申し込んでよいのか?

はい、申し込み可能です。ただし、銀行は補助金採択を確定収入として扱わないため、補助金なしのシナリオでもDSCR≧1.2を満たすことが採択の前提となります。補助金が採択されれば設備投資に充当し、追加返済せずに財務を改善できる計画を示すのが理想的です。

Q2. 役員退職金を分割支払いにすればDSCRは改善されるか?

改善の余地はあります。退職金を3〜5年分割払いにすると、各年の資金流出が平準化されます。ただし分割払い期間中は役員が退職後も債権者として残るため、法的リスク管理と契約設計が必要です。また税務上の退職所得控除の適用条件も確認が必要です。

Q3. MBO資金調達に使える公的融資制度はどれか?

日本政策金融公庫の「事業承継・集約・活性化支援資金」が最長15年の長期返済を可能にするため、DSCRの観点から有利です。加えて信用保証協会の「事業承継特別保証」を活用すると、民間銀行からの調達も条件が緩和されます。複数制度の組み合わせで調達スキームを最適化することが重要です。

Q4. 補助金の申請から採択・入金までの期間はどれくらいか?

公募締切から採択発表まで通常2〜4ヶ月、補助事業実施期間(対象経費の支出)を経て交付申請・確定検査後に入金となるため、申請から実際の入金まで1年以上かかるケースが多いです。資金繰り計画には補助金入金タイミングを保守的に(遅め)に見積もることが必要です。

Q5. 補助金と税制優遇(事業承継税制)は同時に活用できるか?

原則として併用可能です。事業承継税制(贈与税・相続税の納税猶予)は承継時の株式評価に対する税優遇であり、補助金とは対象が異なります。ただし一部の費用でダブルカウントが疑われる場合は事務局の確認が必要です。承継コスト全体を税制・補助金・融資の3軸で設計することで、自己負担を最小化できます。

まとめ

事業承継・M&A補助金(事業承継促進枠)は強力な支援策だが、補助対象は設備投資・外注費・専門家費用などに限定され、退職金・株式取得費・登記費用は一切カバーされない。この誤解が5年PLのDSCRを破壊する3パターンを示した。

  • Pattern 1:退職金全額自己負担でDSCRが1.35→0.88に急落
  • Pattern 2:株式取得費の調達期間次第でDSCRが1.35〜1.02と0.33の幅を生む
  • Pattern 3:補助金カバー率4%の現実を知らずに承継コスト総額を誤算

正しい資金設計は、補助対象・非対象の費目分類→非対象コストの先行調達設計→5年PLでDSCR≧1.2検証→補助金はゼロ想定の保守シナリオ提出の順で進める。補助金は承継を加速する「投資補助」であり、承継価格を下げる「値引き」ではない——この認識を持った後継者が、銀行融資の最終承認を得られる。

参考資料

  1. 中小企業庁「事業承継・M&A補助金(事業承継促進枠)公募要領」(2024年度)
  2. 日本政策金融公庫「事業承継・集約・活性化支援資金」商品説明資料
  3. 中小企業庁「中小M&Aガイドライン」第3版(2023年9月)
  4. 金融庁「金融仲介機能のベンチマーク」事業承継対応状況(2023年度)